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柏崎市の宮さん〜震災のあの日から〜

こんにちは、編集長の工藤です。東京は梅雨に入って肌寒いくらいで、京王線の車窓からはアジサイもよく見えます。皆さんの地域は今、どんな季節を過ごしていますか?

今日は、聞き書き甲子園について書いていきたいと思います。編集部にもOBOGが多いのですが、高校生が職人や林業家や漁師に取材をするプロジェクトで、列島ききがきノートは、聞き書き甲子園を続けるなかで「もっと聞きたい、もっと書きたい」という卒業生が集まって生まれたメディアなんです。(詳しくはこちらの記事をご覧ください)

聞き書き甲子園では、高校生の取材を受け入れてくれる全国の仲間(自治体やまちづくりNPOなど)を募っています。各地域で「ようこそ!高校生!」とおおらかに迎えてくれる大人たちがいる。そんなシンプルだけど幸せな関係性が、この活動の豊かな土壌そのものです。

今回は、2019年度受け入れ地域の1つである新潟県柏崎市のエピソードです。いろんな生き方をする人たちが支え合って、聞き書き甲子園は18年続いてきた…そんなことが伝わる記事です。取材・編集は永田健一朗です。

東京駅から新幹線と電車に揺られること3時間。電車を降りて見えてきたのは、海も山もすぐそばにある、自然に囲まれたまち。

第18回 聞き書き甲子園の受け入れ地域の一つである新潟県柏崎市に打ち合わせに伺いました。柏崎市とは、新潟県中越地方の西端にある日本海に面した市です。「マダイ」や「つららなす」などの海の幸、山の幸が豊富で、水球を通して地域発展に成功した「水球のまち」としても知られています。

そんな柏崎市で、聞き書き甲子園に参加する高校生たちの受け入れをして下さるのは「NPO法人 柏崎まちづくりネットあいさ」というまちづくりの会社です。「挑戦の循環によって躍動する地域をつくる」というビジョンを掲げ、事業を通じて社会に貢献するプレイヤーが増える仕組みや環境を創っています。まちづくり拠点である「まちから」の運営や学生・社会人向けのインターン制度などの人材育成事業の開発・運営等も行っている団体です。

まちからは、登録有形文化財である喬柏園をリノベーションした建物。1964年の新潟地震、2007年の新潟県中越沖地震で被災したものの、この建物は倒壊せずに残ったといいます。(写真はあいささんのHPからお借りしました)

「あいさ」の理事兼コーディネーターの宮沙織さんと、柏崎市市民活動支援課職員の中村宗太さんとで、来年春の参加高校生募集に向けて、かしわざき市民活動センターと中越沖地震メモリアルの2つの機能を併せ持つ「まちから」で、プログラムの一年間の流れや高校生の受け入れ体制の確認などを行いました。

宮沙織さん(写真右上)、中村宗太さん(写真右下)
「まちから」の交流・活動ルームで打合せを行いました。広々として、落ち着いた雰囲気です。

最も時間がかかると予想していた名人候補選定に関しても、普段から地域住民の方々との交流がある宮さんは柏崎の魅力的なおじいちゃんおばあちゃんをご存知だそうで、早々と打合せが進みます。林業関係者や菅笠づくり職人、漁師さん、海女さんなど、山の名人から海の名人まで幅広い分野の方々をご紹介頂きました。

今回の市町村公募に手を挙げて頂いたのも宮さんということですが、実は聞き書き甲子園の取り組みを知るより前から、インターンシッププログラムの一環として聞き書きを行ってきたといいます。

1か月間の短期インターンで大学生が荻ノ島集落の住民の方々を取材して作成した聞き書き冊子。名人の豊かで柔らかな表情が良く撮れています。

今ではすっかり地域のおじいちゃんおばあちゃんと仲良く、「まちから」の運営や地域での活動支援など、地域コミュニティのつながりを支える仕事をされている宮さんですが、今の仕事を志すようになった理由はどこにあったのでしょうか。

お聞きすると、全てのきっかけは中学生の頃に経験した新潟県中越地震だったと言います。

”中越地震の時、中学3年だったんです。人生初めての揺れを経験して、「地球は終わった」と思いましたね(笑)。家族が家族のために行動する、家族の絆を改めて感じました。2週間くらいで学校は再開したんですけど、グラウンドには自衛隊の基地やテントで生活する人たちがいました。

それを見たときに、自分も家族も無事で、「なにか自分にできることがあったんじゃないかな」と心にモヤモヤを感じたんですよ。震災の経験から、家の大事さを感じる様になって。家って寝泊まりするだけの場所じゃなくて、家族を守る場所であり、家族をつくる場所なんだなって感じました。

そのモヤモヤは中学校を卒業しても続いたといいます。暮らしの安全を守る家をつくりたいという想いから大学では建築学科に進学。そこでの恩師や先輩との出会いにより、家や建築から、地域づくりの方に興味が移っていったといいます。

“構造計算が苦手だったので、建物をつくることよりも、その建物を使う人に私はほれ込んで。大学で都市計画を学んでいる時に、地域のコミュニティの役割を初めて知ったんです。自分の生まれ育った地域を意識したことがなかったんですよ。大学で地域に出て、大人と出会ったときに「あ、人って面白いな」って思ったんですよね。そこから徐々に人との関わりとか人と人を繋ぐことに面白さを感じる様になって、この業界にどんどんのめり込んでいったって感じですね。”

中学から現在に至るまで、自分のやりたいことを貫いてきたように見える宮さんですが、中学生の時に感じた「何もできない自分に対するモヤモヤ」は晴れたのでしょうか。

“あの時感じたモヤモヤって、色んな人が、誰かのために手を動かして体を動かしてっていう様子を見てて、それが出来てない自分へのモヤモヤだったから、そういう意味では、相談でここに来る人の対応をしたりとか、地域に入って色んなことをしてるってことに対して、モヤモヤは少しずつ解消できてきてますね。自分に合った仕事というか、自分の使命だと思ってます。

一歩ずつ確かに歩く様に力強く自身のキャリアを選択されてきた宮さんですが、今回受け入れる高校生はちょうど宮さんが被災されたくらいの年頃の人達。そのことに対して何か思い入れはあるのでしょうか。

“私、高校生の時も部活に励んでたんですけど、モヤモヤしてたんです、将来に関しては。「私の夢ってなんだろう」みたいなことをずっと考えてたので。そういう意味では、友達と夢を語ることって普段ないので、先生でもない親でもない狭間の年代の人、まあ私もだいぶ上になっちゃってますけど、高校生にとって近い先輩みたいな存在で話を聞いてあげたりとか、その地域のことだけじゃなくて、自分の将来のこと、自分自身のことを考えるきっかけになったらいいなと思っています。”

既にインターンシッププログラムなどで学生の受け入れも経験されているからか、宮さんは高校生から慕われるお姉さん的存在になって頂けそうだと想像ができました。もう世界が終わるかもしれないという恐怖を乗り越え、その経験を糧にして仕事に邁進されている姿は、自分にも過去にも正直な宮さんだからこそできる生き方なのかなと感じます。

数か月後、この地に高校生が来て、名人や宮さんなどの柏崎人と出会うなかで何を感じ、どんな聞き書きをするのかと思うと、とっても楽しみになりました。

宮さん、中村さん、突然の取材にご協力頂き、ありがとうございました!
参加高校生をよろしくお願いします。


(聞き書き:永田健一朗)

ありがとうございます。 列島ききがきノートの取材エリアは北海道から沖縄まで。聞きたい、伝えたい、残したいコトバはたくさんあります。各地での取材にかかる交通費、宿泊費などに使わせて頂きます。そして、またその足跡をnoteで書いていければ。