たーちゃんと陶芸 1

72歳になる祖母は、おばあちゃんと呼ばれることを嫌う。
なので、家では「たーちゃん」と呼んでいる。小さな頃から忙しい母の代わりに世話をしてくれた。
私は祖母に陶芸を習い、一緒に器を作ったりもした。今でも2人でお出かけをするほど仲が良い。

空 タケコさんは1946年広島県生まれ。2000年に広島県から福岡県に移住。主婦業の傍ら、マンションの一室で未空来(みそら)工房を開き、27年間陶芸作品を作り続けている。Instagramやminneで作品を公開、販売している。編集部メンバー、空 佐和のお祖母さんです。
タケコさんのminneはこちらInstagramもぜひご覧くださいね。

この記事は空 タケコさんの孫、空 佐和が聞き書き形式で執筆しています。

祖母は今、8階の自宅マンションのベランダに窯を置いている。
かれこれ30年近く陶芸を行なっている。

パンが焼きあがる感覚で、私の家では陶器が焼きあがる。
家の食器棚に並ぶのは全て祖母手作りの器。
私も家族もそんな光景が当たり前だった。

ある日編集部のみんなにわが家の日常を話した。祖母に対する驚きの反応が返ってきて、なんだか自分のことのように嬉しかった。

そこで気付いた。「たーちゃんの陶芸」は面白い。趣味として独学で始めた陶芸なのに、ベランダに窯を置き、プロ顔負けの器を作る。それはどうやら変わったことらしい。未空来工房をいろんな人に知ってほしい。そう思った。

今に至るまでのルーツを知りたくなって、少し恥ずかしいけど電話をかけてみた。 

「たーちゃん、17歳の頃なにしてた?」
「何もないよ、普通だよ」 

普通だよという人の方が案外普通じゃなかったりするんだな。


第1回 17歳の頃何しよった?

「久しぶりやねぇ〜元気にしとる?」
「学校は楽しい?」

電話越しの第一声はそんな言葉から始まった。

タケコって名前さぁ

広島でお母さんとお兄ちゃんの3人暮らしやったのね。戦争で大阪にいれなくなったから、お父さんを大阪に置いて、家族みんなで疎開したの。そんなんで、たーちゃんが生まれた時にお父さんいなかったの。

お父さんはもともと大阪で通訳やってた。早くに亡くなったんだけどね。
お父さんって勉強が好きだったのね。でも、商売人の家だから学校なんか行かずに、商売をせんといけんって言うのが当たり前な時代でしょ。
それが嫌で「自分は勉強したい」って言って家を飛び出して、大阪に。

それから、病気で亡くなってしまったんだけど、兄弟にたけおさんっていたのね、すごく優秀で頭良くて。だから、そのあと生まれた末っ子の私に、そのとき中学生だったお兄ちゃんが、タケコってつけたみたい。でもタケコって嫌なのよね(笑)。

高校に通うのも大変な時代なんよ

ほんと普通の高校生活やった。えっと、学校は広島の海田高校。昔は女学校やったらしくて、1番上の姉はその女学校に通ってたの。

海田高校通ってたんやけど、高校の途中で家が呉市に引っ越したのよね。それで高校に通うのに呉市から距離があるからって汽車で通わなきゃいけなかったのね。

あの、昔の煙の出る…そんで通うのに時間かかるから、広島市に姉2人が結婚して住んでいて、実家と姉の家を使って学校に通ってたの。汽車って、昔遅かったからね。姉の家から学校には自転車で通ってたのね。

昔の自転車ってチェーンが中に入ってなくて。今のやつってカバーがついてるじゃん?昔のはカバーがついてなかった。冬に自転車で国道通ってたら、雪が積もってたのね。その雪でチェーンが外れて大変だったんね。その自転車を引きながら学校行ったんよ。

普通の高校生やったけど

授業も国語とか数学とか今と何も変わらんしねぇ。部活っていうのやってなかったけど、図書委員だったと思う。放課後いつも図書館に行ってたね。

友達の家に遊び行ったり、一緒に勉強したりとか。当時、固定電話もないから、遊ぶときも直接家に行く。みんな家に行くしかなかったね。

家の前にはお店あるし。なんでも食べるもの置いてある。だからスイカ食べたいと思ったら、切ったスイカがお店の冷蔵庫に冷やしてあるからそれを買って食べたり…

あとね、矢野(広島市)のお祭り。矢野の秋祭りってすごく怖くてね、お神輿がすごくでっかいのよ。それで鬼が学校までね、追いかけてくるの。子供達を追いかけて。

授業中まで追いかけてくるからね、怖いもんだから先生の机があるじゃん?ちっちゃい時はそこに隠れたりとかね(笑)。

それで家に帰るまで大変だった。外でたら逃げ回るって感じ。外でたらどっかその辺におったらどうしよって。

どっから出てくるか分からんし…怖いけど楽しみやったね。それでお店が並ぶじゃない?そこに行っては家に帰っての繰り返しやったね。

懐かしい教会

あ、たーちゃんね、教会に英会話を習いにいってたのね。友達とじゃなくてたーちゃん一人で。何かしたいと思ったらあまり人に「ねえねえあれやってみない?」っていうのは絶対ないのね。

誰かいると、人に合わせて行動せんといけんじゃない?習い事っていうのでそれをするとちょっと苦痛になるじゃない。

ちょっとやんちゃする時もあるよね

印象に残っとる先生が英語の先生でね。日本人の男の先生なんやけど、なんかちょっと気に入らなかったらすぐチョークが飛んでくるのね。ちょっとでも授業中におしゃべりしたり、なんかしてたらすぐ、ぴっ!っとチョークが飛んできて命中するのよね。たーちゃんも一回やられたことある。おしゃべりしてて。

一回廊下に水が入った雑巾バケツ持って立たされたこともあるんよね。腕鍛えられたわ。なんかいたずらしたんかね。
人間悪いことは消したがるからね(笑)。

なんでもやらんといけんと思って

高校の時にね、スキー教室があったんよ。これはいかんといけんって思って。友達なんか行く人おらんくて、そういう世の中だったから。新しいことをするのに否定的な時代よね。
だから意外となんかいろんなことをやりたいって気持ちが強かったんよね。

(第2回につづきます)

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ありがとうございます。 列島ききがきノートの取材エリアは北海道から沖縄まで。聞きたい、伝えたい、残したいコトバはたくさんあります。各地での取材にかかる交通費、宿泊費などに使わせて頂きます。そして、またその足跡をnoteで書いていければ。

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17歳の頃、なにしてました?

尊敬するオトナは、17歳の頃どんなことを考えて学校生活を過ごしていたのかな。同じクラスにいたら仲良くなれたかも。いろいろな職業、世代、そして国を超えて…。ルーツは10代にある!
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