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髪を染めることで見つけた、誰でもない自分

「髪を染める」って「ピアスの穴を開ける」のと同じくらい、人生を変えるきっかけになりそうですよね。私もそう思ってました。

ずっと機会がなくて、アラフォーになってようやく髪でも染めてみるかと思い立つ。色を決めるところからワクワク。大変身するのかなーと思った、初めて #髪を染めた日

でも、思ったより色が入らなかったのです。髪質が強くて染色剤が入らない。。。ブリーチしたら、また違ったかもですが、その時はとりあえず髪に優しい方法でトライしてみたんですよね。だから、よく見たら色が違うね。ぐらい。。。

ちょっと拍子抜けしました。よし!変わるぞ!という勢いだったので。人生も劇的に変わることはなく。またいつもの日常が続いていく。でも、その後は髪を染めるのに抵抗感がなくなりました。

物足りないぐらいがちょうどいいのかもしれません。その後もまたやってみたくなるから。

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日本にいた頃は、髪を染めたいなと思ったことはあれど、実際に行動に移したことはなかった。校則だったり、親の目だったり、周りからの期待値だったり。いろんなことを忖度して、真面目でいい子ちゃんの自分でいることを選択してました。

大学時代、周りの友人が次々と茶髪デビューをしていく中、私はピアスの穴も開けず、髪も染めずにいた。「親からもらった身体を変えるなんて」という言葉に縛られていた感じ。

就職後は、茶髪を「取り締まる」職業=教員になっていた。「先生だって茶髪にしてるじゃん」という不満を言われないために立場的に染めれない(と思っていました)

でも、「なんで染めちゃいけないの?」という質問にはうまく答えられたかどうか自信がない。

留学していた時、日本語クラスのアシスタント教員のボランティアをしていました。クラスの子たちは日本人じゃないので、髪の色は金色だったり茶色だったり、はたまた染めてて緑だったり。

でも、だからと言って、態度が悪いとか、いわゆる「不良」というわけではもちろんなかったです。むしろ、友人思いだったり、好きな子のことで悩んでいたり、日本のアニメの話で盛り上がったり、ごく普通の子どもたちでした。

だから、日本の学校で髪の毛の色を管理することに、だんだん違和感を覚えていきました。オーストラリアに移住して、しばらくは逆に髪の毛の色でジャッジしそうになる自分がいました。職業病…

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今では髪を染めるどころか、坊主にも挑戦した後なので何でもこいです。

坊主からベリーショートになったところで、ブリーチに挑戦。色もピンクやらオレンジやら、服を着替えるようにコロコロ染め替えてました。

最近はハイライトに落ち着いてきています。色が抜けてもいい感じに収まっている。けっこう評判良くて気に入っています。

「日本人には見えない」「人が変わったみたい」「前とは全然ちがうね」

そんな言葉をかけられる、今日この頃。

まあ、オーストラリアに来た当初は黒髪ロングのストレート。縮毛矯正で真っ直ぐすぎるほど真っ直ぐな髪の毛でした。ショートでハイライトな今とは大違いなので無理もありません。

そして何より「誰でもない自分」でいられる。日本人にも見られないくらいだし。笑

髪の色をはじめとした外見でジャッジされるわけでもなく『こうあるべき』の世界にいなくてもいい。だからこぞ、自分の好きなように見た目を変えられる。そんな世界線にいられるのって幸せなことだよなと思う。

見た目だけなじゃくて、行動しかり価値観しかり。自分の中にも、まだまだ独りよがりな考え方があるのは否めない。

『あるべき正解は一つじゃない』

お互いの違いを受け入れて、楽しめる関係性を築いていけたらいい。これから #髪を染めた日 は、そんなことを思いながら過ごしてみようかな。

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