長い夜は蝶の夢を見る

 私は酒が飲めない、故にエナジードリンクで代用している。これが意外と良いものでエナジードリンクでもカフェイン酔いをするしフラフラしてくる。そして脳に浮かぶのは嫌なことや苦しいこと、カフェインを腹に入れておくと感傷に浸るのには丁度いい頭の冴え具合になる。人間は取り返しのつかない選択をした後に後悔する生き物で、もう手に入らない幸せが惜しくなる生き物だ。
 喧嘩して関係を切った友人のことや、別れても友達関係を続けようと言ってきた元カノと関係を切ったこと、高校時代に愛すべき仲間たちを捨ててまで自分の勝手を優先してしまって彼らと関係が切れたこと。
 心理学者のアルフレッド・アドラーが残した言葉に「人生の課題は「仕事」「交友」「愛」の3つであり、すべては対人関係上の課題であり…」というようなものがある。私のケースも対人関係の課題が解決していないことによるものだ。
 さて話は変わるが荘子という人物の逸話に胡蝶の夢というものがある。荘子はある日、蝶になる夢を見た後、「自分は本当は蝶であり、蝶が人間の姿になった夢を見ているだけなのではないか」と思い悩んだという話だ。転じて現実と夢を区別できないできていない状態のことを蝶の夢を見ているということもあるそう。
 カフェインに溺れ朝になってやっと寝た日、私も蝶の夢を見た。蝶の夢を見ている時に私は思い出した、本当は人であることを、そして覚めぬ夢であってくれたらと願った。きっといつかは覚めてしまうのだけれどしがらみにまみれた生活から抜け出して行くことを夢想した。だが思いとは裏腹に覚めないでほしいと願った夢ほどすぐ覚めるもので羽をヒラヒラとはためかせ、飛ぼうとした瞬間に片目ずつ現実に戻った。鮮明な夢だった。もしかしたら本当に私は蝶になっていてハタハタと飛んでいたのかもしれない、そういえば怪談に蛍になる夢というのがあったかと思う、ある日侍が歩いていると蛍がブンブンと近くを飛んで離れない、いつまでも離れないために侍は怒り蛍を刀の錆にしたという。そしてその後寄った茶屋で娘に話しかけられる、そこで「さっきあなたが切った蛍は私で、夢の中で蛍になって飛んでいてあなたを見つけて近づいたら斬り殺された」という話を語るという内容でこれもまた虫になる夢の話である。今度は現実に虫になり侍にショックを与えるおまけ付き、この話は寝ている最中にたまに魂が虫の形をして飛び出すことがあるよという昔の迷信を元にした話なのだろう。
 虫という先祖の全く違う生物になってしまうということは異形の鬼になることに等しいことで、元とは全く違う命を生き、元の命に捕われることなく自由に飛び回りたいという転生願望がつまっているのではないかと思ったりする。辛いことばかり目立ってくる人生だから蝶になる夢を見て人の生を忘れたいと思うのは果たして悪いことだろうか?

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