愛と嘘について

 たとい真実の愛を語るときでさえ嘘というのは混じってしまうものである。
 「君の全部を好きだ」なんてよくクサいセリフを言うやつがあるがああいうやつは大嘘つきだ。私が保証しよう間違いない。そもそも人同士は他人同士なのだから全部を好きになれるはずがない。恋人同士というのは互いの嫌なところを指摘しあって妥協点をみつけるものなのだから。だから真実の愛を語ろうとしても誤魔化しや過大過小表現は絶対ある。裸のままで愛してくれなんて無理なのだ。身体が全裸なら愛してくれる人もいるやもしれないと思うが…
 さて、私の話を少し、私は人をよく見ている方だ。人を見る目はないけれど観察する目はあるようで褒めることが出来る場所をよく探していたりする。褒められる点は過大に伝えて、時にはその褒めた部分を「そういうところ好き」と言ってみたりする。それによって少しでも本気にする人が現れ、人に愛される確率を上げているのだ。
 さて、ここまでは愛を伝える時の嘘についてと私の戯言を話したがここからは少し毛色の違う話、長期の嘘がバレた場合の恋の行方についてだ。 
 長期の嘘というのは多くの場合関係を壊すし恋人関係も壊れかねないつまらないことであったとしても気にする人には大ダメージで一気に崩れる。信頼というのはドミノである。積み上げるのは大変で崩れるのは一瞬、人間同士というのは利益関係で繋がっていて、そこに不信感が混ざった時、損失回避の為に相手を切るということが往々にしてある。
 ひとつ嘘を見つければもう一つ二つあると勘ぐるのが人間であるから不信感は嘘がひとつバレた瞬間に大きくなり続ける。とはいえ嘘で得た愛は嘘がバレると無くなる、なんてことは無く嘘をつかれることよりも一緒にいられることに利益を感じられるならなくならない。利益関係が崩れない下地が出来ているかが嘘がバレた時の関係の変化を左右するのである。

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