もしもの話

 「もしも何何したらこれそれしよう」こういったフレーズを私はよく使う、私としては「行けたら行く」というような表現でなく「これしたいから頑張るし応援してね」という表現に近い、自分自身に「言ったからにはちゃんとやれよ」という激励をする意味もある。
 ちなみに最近口に出した人に話したもしもの話は全部途中で仮定の過程で停止している。
 もしも会社建てられたら働いて欲しいというもしもの話だけは今も動いている。正直に言えば会社なんて建てたくないし責任を負いたくないと思っているから会社を建てるだけ建てて軌道に乗った瞬間に社長職を退いて自分が建てた会社の平社員になりたいと思っている。新たな社長職には「働いて欲しい」と声をかけている友人に就いてもらう、完璧なアイデアだろう。
 このもしもの話には条件付けの効果もある。会社ができてから「入らない?」と誘うよりは「もしも会社ができたら入らない?」と誘った方が勝率は高いだろう、本当に会社が建てられるとは信じていなかったとしたら好都合、約束はしてある。自分の言ったことを無かったことにする、つまり一貫性を欠いた行動というのは罪悪感があるだろう、だからこそもしもの話は強い、しかしまぁもしもの話に「会社ができたら働いて」という内容までしか含んでいないために「社長職に代わりに就いて」というお願いは断られるかもしれない、というか我が友は社長職みたいなリーダー役をやりたがらない生物であるからしてそこらの暇人に会社の運営を任せた方が吉かもしれない。
 もう1つ、もしもの話で別の話、私はもしもこれが完成したら私を捨てた奴らに再び会えるのではないかと思いながら物書きしたり勉強したりしている。
 もしこの本が当たれば振られた彼女と復縁できるかもしれないとか、復縁はできなくても知り合いに戻るくらいは出来るのではないかと自分にもしもの話を言い聞かせている。

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