狡猾で汚い人間であるべきだ

 私のような嘘つきはもっと狡猾にあるべきなのかもしれない。
 いわゆるDV男のそれに近いような餌を与えるだけ与えて急に餌をやらないというようなことをすると相手はおかしさを感じるだろう。おかしさを感じるということは疑問を持たせ続けるということ、意識させるのにはうってつけだ。
 いま、私は変換点に立っている。人として自分の性格を再構成すべき時がきている。悪ふざけのようなことをやめて大人になるべき時がきている。ストレスをいかに受け流し、いかに周りの人に良い顔をできるかがかかった大事な局面だ。
 私は元々人に良い顔をしないと生きていけない人間で、私が変人として生まれてそこからどう足掻いても変われないから周りに恩を売ることで自分を生かしてもらうという策でどうにか今日まで生き延びてこれたのだ。
 恩を売り、人として足りないところを見過ごしてもらっていたがそれも限界がきている。私もいい大人で子供っぽいところは流石に直さねばならない。すべきことをやってせぬべき悪戯の癖を直さねばいい年齢のくせしてどうだと言われてしまう。やってはいけないことをやるのは人間の性でどこまでが許されるのかなどをきちんと把握した上で線引きを再度しないといけない。興は生きるのに必要であるが悪戯という所に興を求めては生きてゆけない歳になったのだ。故にここからは自分の中で完結させられる面白さを興としていかねばならない。
 嘘つきなのを変える気はないがつく嘘の種類を虚飾から変えないといけない、いつまでも飾ってはいられないしそろそろ虚飾の嘘の責任が取れなくなってきている。私はニートだ。働いてるタイプのニート。人と積極的に話すようにしてなるべく自分の情報を売るようにする。これまでクローズドだった自分を変えないといけない、一歩ずつでいい、絶対に話すべきでない情報は話さなくていい、だからもう無駄に人を恐れるのをやめないといけない。

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