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母の運命のデザインは…?

母の部屋に貼ってあったメモです。

認知症があり、要介護2だった母を施設から出し
去年の春から同居生活をしています。

現在は要介護4です。
同居を始めてから約1年後の認定調査の結果が4

進行させちゃった、と凹みかけましたが

以前の認定期間が2年だった事と
コロナ下の社会全体のストレスと
入居施設がビルの同フロアにデイサービス併設で
外気や日光にあたる事もない1年の結果と思い

自分の力不足とは思わないよう切り替えました。
誰のせいでもない、ということです。

入居中、平日は毎日母に電話をしていました。

でも、いつのまにか
電話で話す誰かを娘と言う認識も
なくなっていたかと
出た後の母の状態にきづかされました。

施設には県外者は立ち入り不可で
退出手続きのため必ず立ち寄る
市役所の駐車場での待ち合わせで引き取り

丸2年施設にいた母を
公道の徒歩、公共交通機関、電車、船、と乗り継いで

母が郷里を離れ
娘がいるからとやって来て
10年暮らした島に戻りました。

仲の良い母娘ではなかったですが
お互いそれなりに努力した
思い出多い地です。

母にしたら、重圧が多かった郷里から離れ
まさに、歌って踊って恋もして
第二の人生を謳歌した島です。

…が、ここがどこかと聞けば
郷里を言うどころか
婚家をdeleteし、生家の屋号で
「私は○○屋の☆☆の娘」をリピート

「お家に帰らせて下さい」とも言われ
帰宅して初の朝は
「すいません、トイレはどこですか?」
から始まった…

私の存在までdeleteか、と
立ち直るには時間がかかりました。

あれから一年数ヶ月

母は、一旦この状態を通らないと
自ら貼ったり、貼られたりしたラベルで自分が見えず
自分でないもののまま逝くことになる

☆自分に還るために認知症になったのでは?

「私は○○屋の☆☆の娘」
☆☆は祖父、母の父親の名前です。

きっと夫より早く起きて
日々寄り添い育んだはずの母親のことは
何を聞いても名前すらも思い出さない
母はいつも「実家の父が…」だった。

説明すると長くなるし
今はうまく説明する自信がありません。

少しずつでもまず私がなぞ解きできれば
母自身の運命のデザインが見えるのか?

リハビリ+介護なのは

リハビリ前提ではとの同居を再開したからですが

再開して一年数ヶ月経って
やっと☆こう思えたから

こんなタイトルで心機一転なのです。

読んでくださる方に感謝致しますm(__)m

母の運命のデザインは私にはわからないし
私は母のデザインの一部ではないけど
コラボ、というのはありなのか?

今は答えは出ません。

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