Kids meets aquarium (1)

「水族館に行ったら、お魚さんと遊べるよ」

このひと言がまずかった。2歳の娘はころっと勘違いしてしまったのだ。生まれて初めての水族館は、彼女にとってえらく見当違いな場所になってしまったらしい。

変だなとは思っていたのだ。バスに揺られてようやくたどり着いたというのに、娘はきょとんとした顔でぼんやり魚たちを見ているだけだし、なんだか想像と違う。もっと、きゃあきゃあ言って喜ぶと思ってたんだけどな。僕は首を傾げながらも水族館の目玉の一つである大水槽の前に進み、そこで娘が放った言葉に絶句した。

「おとうさん、すいぞーかん(水族館)に行きたいのね」

「……ここが水族館だよ。ほら、お魚さんがいーっぱい」

日本海をモデルにしたという大水槽には何千何万というイワシの大群がなめらかな渦を巻き、巨大なエイが優雅に舞っていた。耳をすますと、ほの暗いディープブルーの向こうから祈りにも似た歌声が聞こえてきそうだ。僕はほとんど義務感すら感じながら、目の前に広がる光景の素晴らしさをジタバタと語っていた。だって、これが見せたかったんだから。けれど、娘はむっつりとした顔で言う。

「おとうさん、すいぞーかんに行きたいのね」

「いや、だからここが——」

僕の言葉を遮ると、娘はこう続けた。
「つかまえるのね。金魚すくいするのね」

娘にとっては、見ているだけでは水族館にあらずらしい。いくら話して聞かせても、娘は「つかまえる! 釣る!」の連呼。スタッフのお姉さんが薄笑いするなか、僕ら家族はなんとか順路を進み、サンゴの海の展示室にたどり着いた頃には水族館に来たことをなかば後悔さえしていた。こんなことなら、縁日にでも行けばよかったんだ。お手軽に金魚をすくって、幸せになればよかった。

そんな父の心情を知ってか知らずか、娘はこう言って水槽に駆け寄った。
「これにする。金魚すくいする!」

カクレクマノミ。キャプションにそう書いてあった。娘は気に入ってしまったのだ。水槽にギュウッと手のひらを押しつけて、ディズニーの『ファインディング・ニモ』のモデルになったそのいたいけな魚を見つめてる。それも、獲物として。

もはや、説得は不可能だろう。でも、こんなことでくじけるわけにはいかない。仮にも僕はお父ちゃんなのだ。

「じゃあ、捕まえよう。魔法の網でね」

僕はそう言って、ハンカチを取り出した。それをクマノミの水槽に向かってふわっと広げる。それから「えへん」と咳払いし、手品をする時みたいなちょっぴり気取った声で言った。

「ワン・ツー・スリー。ほら、捕まえた」

僕はハンカチをくしゅくしゅっと丸めて、娘に握らせた。娘は不思議そうな目でそれを見つめ、まるで何か大切なことを思い出したみたいにぱっと水槽に振り向いて言った。

「お魚さん、生きてる」

娘がどういうつもりで言ったのかはわからない。けれど、そのシンプルな言葉は僕の心をきちんと静かにした。水族館という作られた水の中に生きる魚たちと、社会という一枚の大きな布に包まれて生きる僕たちが不思議につながって見えたのだ。この魚も僕も同じなんだ。そう無邪気に思えたなら、それだけで世界は優しい場所になる気がした。

「イルカショーが始まるよ」

遠くから、うちの奥さんが呼んでいた。

〈続きます〉

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

ありがとうございます!
77

キムラ ケイ

エッセイ

日々の暮らしの中で見つけた、小さな物語を綴っています。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。