Kids meets aquarium (2)

泣くなんて思わなかった。そんなつもりはなかっただろうし、それは本人もよくわかっているはずだった。それでも、涙は透明な道のりになって頬を流れ落ちた。不覚にも泣いてしまったことさえ帳消しにしてくれるような温かさで。

揃いのウエットスーツを着たイルカショーのお兄さんお姉さんが、マイクに明るい声を通していた。
「さあ、成功するでしょうか!」
司会役のお兄さんがそう言って合図すると、5頭のイルカが次々とプールの中に消え、水しぶきを立てていっせいにジャンプした。くるっと満月を描いたような輪が宙に踊り、わあっと歓声が上がる。それが最後の演技だった。場内はうっとりするような明るい雰囲気に包まれている。泣いている人がいるなんて誰も知らない。

それが、2歳の娘にとっての生まれて初めてのイルカショーで、うちの奥さんが初めて泣いたショーだった。いや、僕が知らないだけで、どこかでイルカたちの宙返りや輪くぐりを見て涙したことがあるのかもしれない。考えてみれば、水族館でデートなんてしたことなかったから。あの頃はいろいろなパン屋さんを巡り歩いたり、お互いのお家でご飯を作ったり食べたり、そんなことばかりしていたっけ。

だから、と言ったら言い訳だろうか。僕はまるで気がついてなかったのだ。
「ねえ、イルカってさ——」
そう言って無邪気に振り向き、言葉を失った。隣の座席で、うちの奥さんが泣いていた。声を殺して、両目からじわっと涙を流している。

奥さんはブンブンと首を横に振って言った。
「だって、お兄さんの言葉が……」
そう言って、ぐいっと涙を拭う。僕は「ああ」とつぶやき、司会役のお兄さんがショーの最後に話したことを思い出していた。お兄さんはこう言った。

「イルカたちにとって、ショーが成功するかどうかはどうでもいいんです。この子たちが大切にしているのは今が楽しいかどうかだけ。ボクらはイルカたちが遊びたくなるようにもっと幸せになれるように、毎日そばで見守っているんです」

うちの奥さんはこくんとうなずくと、「行こうか」と娘の手を取って立ち上がった。「お母さんたちとおんなじだね。イルカさん、もっともっと幸せになるんだって」

娘は不思議そうな目で母親の涙を見ていた。つながれた手をきゅうっと握り返し、イルカのいるプールをじっと見つめて言った。

「あそこに行きたいのね。あの青いところに行きたい。イルカさん、いいよって言ってる。ここにおいでって言ってる」

「じゃあ、お母さんいっぱい見守らなきゃね」

僕は二人の後ろからそっとついていき、今日の涙のわけをいつか娘に話せるだろうかと目を閉じた。

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キムラ ケイ

エッセイ

日々の暮らしの中で見つけた、小さな物語を綴っています。

コメント4件

素敵なお話で、私も涙してしまいました。動物と幼児には涙腺が緩みます。泣き虫なんです。でも、大人になると、素直に涙を流す機会が少なくて…。いつか娘さんに話して上げてくださいね!有難うございました。
♡mariy♡さん。動物や子どもはやっぱり愛らしいですよね。僕は最初、奥さんがイルカの無邪気さや可愛らしさに涙しているのかなと思っていました。本当のわけを知って、娘への愛情にじんわりしました。恋人から夫婦になって、そして家族になって……。人ってこんなにも大きくなれるんだなと、目の前で見せてもらった気がします。
娘もいつか、家族を持つことがあるのかな……。その時、大事なことを教えてもらえるのはむしろ僕の方かもしれません。コメントありがとうございます!
お返事有難うございます。奥さんの本当の思いを感じることが出来て良かったですね。家庭の中には沢山の課題と学びが詰まっていますよね。私も、子供や動物を育てながら、私の人生が豊かになった様に思います。言葉にすると軽いけど…心揺さぶられる悩みも、楽しみも、この子が、この人が…居なかったら考えもせず、気がつきもせずいたかも知れない…と思います。奥さんと娘さんと真摯に向き合っているキムラケイさんは素敵です。
こちらこそ、コメントありがとうございます。そうですよね、娘に接していると僕も同じように思うことがあります。育てているはずなのに、こちらが育てられているような不思議な気持ち……。やっぱり、近くにいる人をまず大事にしたいですね。あたたかい気持ちになるコメント、ありがとうございます!
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