蒼井翔太のライブ八年目になっていたクィアのオタクが、蒼井翔太はDIVAだと気づいた話

注意事項

非常に個人的な意見でいっぱいです。あくまですべて、私の主観にすぎないことをご承知おきください。
また、本当に年に一回ライブに来るだけのオタクなので、知識量はとても少ないです。その状態で八年目を迎えて、やっといろいろと自分の中で答えが出せた、みたいな内容になっています。
※WONDER lab.を冠するライブ(ゼロ以外)に行かせていただいています。

DETONATORを終えて

絶世スターゲイトの歌い出し。あのとてつもなく美しく力強いロングトーンを聞きながら、「ものすごいものを見ている気がする」とぼんやり思った。
1番を歌い終えた時に、マスクをしながらではあったけど、小さく、「DIVAだ…」と呟いてしまった。

たしかに「DIVA」が立っていた。

身体のラインに沿った真っ白な衣装。膝近くに入った切れ込みから見える肌。力強く美しい歌声。
何度も聞いてきた絶世スターゲイトだったけれど、多分こういう要素がたくさん積み重なって、あの時確かに蒼井翔太は私の「DIVA」になった。

私のことを毎年ライブに連れて行ってくれる友人(ファンクラブ会員)に、ライブが終わってすぐ興奮冷めやらぬ様子で私は言った。
「6.7年目?にして、やっと気づいたことがある!!!」
「何?」
「蒼井翔太はDIVAだった!!!」
「DIVAって何?」
伝わらなかった!

DIVAについて

DIVAというと、誰を思い浮かべるだろうか。
概念を日本語で端的に表すのなら「歌姫」。
でも、それだけでは説明しきれないところがある。

私にとってのDIVAは、シェール・ホイットニー・ヒューストン、レディ・ガガ、クリスティーナ・アギレラなどのアーティストたちだ。
よく名前があがる方だと、マドンナ、マライア・キャリー、ブリトニー・スピアーズとか?
日本だと、ミュージカル女優4人が「LA DIVA」というユニットを結成した(https://tower.jp/article/feature_item/2022/01/04/0703)のも記憶に新しいだろう。彼女たちはまさしくDIVAだと思う。

時代を切り開くような精神性、そしてそれを「私がやりたいからやっているの」と見せることのできる強さと軽やかさ。そういった要素が欠かせないものなのだろうなと感じている。
DIVAについて、

この記事がとてもわかりやすかった。私自身がクィア(LGBTを広く表せる言葉として私は用いています)であることも相まってわかりやすかっただけなので、人それぞれのDIVA論とDIVAがいると思う。

八年間で感じた変化

高校生の頃、友人に誘われて初めて『蒼井翔太 LIVE 2016 WONDER lab. ~僕たちのsign~』に参加した。
私は当時はプリンス・オブ・ストライドと宮野真守のオタクをしていて、なんで誘ってもらえたのかはわからない。プリストに蒼井翔太さんは出ていたけど! 夏凪さん、大好き!
でも当時から秘密のクチヅケがとんでもなく好きだった。

この時、小綺麗で少しだけフェミニンな王子様路線、みたいな印象を抱いたと記憶している。三度目の衣装チェンジで肩に王冠を乗せて出てきたのも大きいけれど。
はじめてのライブの感想は「歌うめえ!」「ダンスうまい!」「顔が…かわいいな!?」だった。
MCも当時がかなりふわふわしていたというか、声質も相まって少しだけハラハラしながら見守っていた(高校生の小娘が…)
その翌年prismは、純白のパンツとスカートが融合したデザインの衣装に始まり、天女のような衣装、スポーティなもの、そして王子様デザイン。
前年よりも、「かわいい」「かっこいい」を両極に振った構成になっていたと思う。今思うと、当時蒼井翔太に求められていた「かわいい」と(舞台だったり、女性の役だったりをやる機会があった頃だと記憶していますが、間違っているかも…)ひた走ってきたアーティストとしての「かっこいい」の両立になっていたのかなと。
天女の格好をした蒼井翔太が床にいたテントウムシを拾い上げ、「てんとう虫さんが…」と言った光景が忘れられない。ディズニープリンセスじゃんあんなん、と思った。
この時も変わらず、MCは「かわいい」寄りというか、ふわふわっとしたところがあった。それを楽しむというか、「しょーたん頑張って~!」で見守る土壌の形成のような感覚だったのかなと。
その翌年は受験により不参加。

「I」にて、久しぶりに蒼井翔太ライブへ。
センターステージ最前を引いていろいろと記憶がぶっ飛んでいるのだけれど、ここでとある疑問が浮かびはじめていた。

「蒼井翔太をひとことで表すとなんだ?」

時を同じくして私がファンクラブに入った宮野真守はひとことで表すと「エンターテイナー」。
当時、というかprismまでの蒼井翔太については「お姫様にもなれる王子様」「かっこいいもやれるプリンセス」みたいな説明的な概念として自分で総括していたけれど、単語ひとつでビシッと伝えきれるものがないなと感じていた。
それは「蒼井翔太はどこへ向かっているんだ?」みたいな、偉そうな疑問にも繋がっていた。
約二年ぶりに参加したら、王子様とかお姫様とかそういう概念ではなく、蒼井翔太が蒼井翔太として何かやっている。そんな感覚があったのを覚えている。
「Eclipse」は特に、「こんなんも歌えんの!?」とびっくりした。今でもすごく好きな曲で、DETONATORの二曲目で崩れ落ちて友人に笑われた。
そして、最前の目の前で披露された「checkmate」で、当時は言語化できなかったけれど、何か明確な違いを感じたように思う。
まず、衣装も髪型もメイクも、スタイリングのすべてが「煽情的」だった。挑発的な曲がこれまでになかったわけではないけれど、ファムファタール的な概念を乗りこなす姿が衝撃的だった。
それにこのあたりから自己表現のための化粧が増えたと思う。整える程度のナチュラルメイクから、きれいにみせるための、自分のためのものなのかなと受け取れるようなメイクになっていって、どんどん綺麗になっていったと感じている。
(余談だけど、あまりに素敵すぎて人間ばなれした何かを感じていたところ、目の前でチェックメイトを踊るフェイスラインに肌荒れを見つけて、「蒼井翔太も人間だった……」と友人に語った話がある)

コロナ禍をはさんで、「coRe」「Garden」に参加した。
やはり、「王子」「姫」とかではなく、世界観に合わせた独自路線をひた走っている感じがして、「どこに向かっているんだろう」「ひとことで表すとなんなんだろう」の疑問はずっとあったし、まとめきれないままだった。
パンツスタイルのスーツデザイン衣装でも、シルエットがタイトだったり、スパンコールがちりばめられていたり、フリルがたくさん入っていたり。
逆にスカートスタイルでも、中が半ズボンになっていたり。
性別不詳のエルフの長みたいな衣装だったり。
どれも目新しくて最高に似合っているはずなのに、自分の中でずっと「なんだろう……私は確かに蒼井翔太をあらわす言葉を知っているのに出てこない……咀嚼しきれていないのか……」みたいな感覚だけがずっとあった。
あと、このあたりから明確にMCがうまくなった気がしている。(「I」からスキルはかなり上がっていたとは思うけど)
ライブ終わりに二ライブとも「おしゃべりうまくなったねえ!?」と親戚のおばちゃんのような感想を友人に述べた記憶が……。
「coRe」が終わったあと、友人に「素人の意見で恐縮なんですが、今回のセトリってオタクの考えた最強のセトリみたいな、あまりに強すぎませんか……」「ほぼ毎年ライブに来てるのに素人って何。そんな素人ですが……って質問してくる教授みたいな言い方!」と怒られたのも覚えている。
「Garden」では、作りこまれたセットと共に、「ああひとつの完成形に近づいてきたんだなあ」と思った。
「○○だったんでやり直していいですか」は、蒼井翔太のライブで見かけることが多い。それを需要するファンと、それを言い出す強さを持つ蒼井翔太の関係があってこそで、DETONATORでも同じような場面があったけれど、これ込みで完成形なんだなと。
歌のクオリティもどんどん増して、セットを作る能力も、MCも綺麗にまとまってきて、やりたいことと表現したいことをひたすらに追及して、それをやってこそ楽しんでもらえることを理解している人間の仕事だと感じた。
でもまだ、「蒼井翔太ってすごいんだよ!」という言葉を尽くしての説明でしか語れなかった。
(あとこの二ライブあたりから漠然と、蒼井翔太のライブってクィアと親和性高くない?と思っていた。ただ、本人のセクシャリティは関係なく私の目から中性的な雰囲気を持っているように見えることや、フェミニンを臆さないパーソナリティに拠るところかなと解釈していたので、安易な解釈なような気がして大きな声で言えなかった…)

そして「DETONATOR」。
はじめは「歌またうまくなってる…」「衰えないな、すげ~」くらいの感覚だった。
最初の違和感はMC。MCがなんかすごく進化しているというか、待って蒼井翔太ってこんな人だったっけ!?!?!?!?!?!?って思いながら爆笑していた。
「お局」「ご婦人」の風格を漂わせながらダンサーやバンドメンバーに話を振り、弄り弄られ巧みに場を回す蒼井翔太の姿があった。
いやほんと、例えるなら「翔太夫人(あえてこの字をあてています!)」みたいな、そういう風格だった。高貴なようでいて、近所のパワフルなおばちゃんを感じさせる、そういう強かさを身につけたのか、解放したのか、とにかく明確に「強く」なっていた。
仕事前にカフェにいくことでテンションを上げる、という話の流れで「今日も実はカフェに行った。すっぴんだからバレないんだよね」と明るく話した光景を見て、「ああもう無敵じゃん! 最高!」と心の中で「YAAAS!!」って踊りまくった。
パフォーマンスとしては最高を目指す、いいものをファンに届ける、を徹底してくれる。そして美しい姿を私たちに見せられるよう努力を積み重ねてくれている。その安心感がある。でも、完璧ではない姿(と形容させてもらいますが、すっぴんでも蒼井翔太は最高だし完璧だと思います!!!!!)があり、それを小粋なトークにつなげることのできる胆力がある。最高。
言葉を尽くして、詰まりながら思いを伝えようとしてくれていたあの頃のことを思い出して、ああ大好きだなあとぼんやりと思った。

そうしてやってきた絶世スターゲイトで、蒼井翔太は私のDIVAになった。
ずっとDIVAだったのだと思うし、誰かのDIVAでもあったと思う。Xで軽く探ってみたかぎりでは、2021年ころあたりからぽつぽつ(それより前にもあったかもだけど)蒼井翔太をDIVAと表現するオタクがいた。
けれど、MCで示された「強さ」と圧倒的なパフォーマンスでぶわっと視界がいっぱいになって、確かにあの瞬間、DIVAだと確信をした。

クィアに勧めたい蒼井翔太

ここまで気づいてようやく、ぼんやりと感じていた蒼井翔太とクィアの親和性について納得をした。
だってクィアのみんな、DIVA好きじゃん!!!!
そりゃ親和性あるよ!!!
クィアのみんな! ここにDIVAがいる!! 見て!!!

冗談抜きに、フェミニンやマスキュリンみたいな概念なんて最初からないみたいに、当然って顔ですべてをその身に纏っていく蒼井翔太とそれを誰も、何も違和感に思わないあの空間はすごく居心地がいい。
女性ファンが多いから、男の子多いの嬉しいな~くらいの発言以外、ファンを「男の子」「女の子」に分けて区別したりもない(これはDETONATORで感じたことなので、それ以前は定かではないけれど、男女別コーレスとかはいままでなかったと思う)※友人に確認しました! なかった!
蒼井翔太は蒼井翔太で、それ以外の何者でもない。それを受け入れる空気感があることが、クィアである私たちの息をしやすくしてくれる空間に繋がっていると感じている。

みんな! ライブ、見よう! 


さいごに

と、いうわけで蒼井翔太は私のDIVAになったわけです。
私は蒼井翔太を色一色で表すなら白だと思っていて、二色なら黒白だと思っているんですが(宮野真守は一色なら赤、二色なら赤青、そういう感覚的な話)、それは作ってきた楽曲に漂う近未来的な雰囲気だったり、ゴシックな感じだったりがあるからで。それをもっと見たい!ってのがあります。
シンプルに「秘密のクチヅケ」「Eclipse」「checkmate」「8th HEAVEN(これほんとよかった!!!!!!)」みたいな路線の曲がもっと欲しいだけかも!
いや全部見たい。UNLIMITEDもVirginalも好きだし。タッチツーテイクトリコもToneもイノセントも好きだし……。
哀唄とかの路線ももっとほしいし……。

欲をもっと出すのなら、「君と僕」とかではない、主語の広いアンセムがもっと欲しいなと思ったり。あとはアーティストとしての「今!」みたいな曲とか。単純に見たことのないものを見たいだけですね。
でも、絶対見たことないものを見せてくれるって、楽しませてくれるって信じてる。だってDIVAだから。

まとまらないまま勢いで書いてしまったけれど、八年でようやく、確かに好きだという実感と、私の中で蒼井翔太はこういう存在なんだって言語化ができたというお話でした。

本当にライブ以外の活動に関しては無知すぎるので、いろいろと勘所を外していそうなのだけれど、ライブだけを見てきたオタクの備忘録ということでひとつ。
大好きです! DETONATOR、楽しかった~~~~!!!!!!

追記
「変わらずに変わる」という目標があったと耳にしました。「僕たちのsign」から体感変わっていないのに何か違う感じがしたのは、こういうことだったのか! と。
やっぱすごいよ蒼井翔太…!



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