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「クソして寝ろ!」

昨日の節分に豆まきしなかったからって、今日の夜にやるのってどうなんだろう・・・我が家。姪っ子ちゃんが楽しそうに豆をまいてたから、いいことにするか。立春ということで、午前中に玄関掃除をした途端、お天道様が輝きを増してありがたかったですね。

さて。久しぶりの舞台だそうです。コロナ禍が長かったんだなと、気がつきました。同級生が主宰を勤める劇団が、大作を見せてくれました。舞台に立てるありがたさを、改めて実感。この話題&画像と見出しが合ってませんがご容赦ください笑。

作る・造る・創ることも表現の一つであると考える方ですが、エンターテインメントを考えると、原作者とドラマ化のショッキングな事件について自然と頭に浮かんできます。でも、自殺はダメです。どんな理由でも。それだけは踏みとどまってほしい。どうか、お願いします。

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エンターテインメントを語るには、たいした経験値はないのですが、プロのレベルというものがくっついてきますよね。

文芸用語では「通俗小説」をさすとあるけど、純文学と大衆小説を分類することには、現代にあってはあまり意味がないようにも思えますね。

と、今回は文学についてではなくて。催し物の方について考えるんですけどね。

というのも、県や市町からの後援という形を取るときに、ダンスの発表会ではそれに該当しなかったという話がありまして。

自治体側からしたら、何でもかんでもは予算の事情もあるし、難しいということは分かります。芸術の域に達するには?とかね。まずは後援する基準について聞いてこないとです。

エンターテインメントも芸術。娯楽って言葉は軽んじられる傾向があるし、お笑い芸人の方々のことも未だに軽んじる人がいるようだけど。

笑わせるってどんなに大変か、誰だって分かるだろうにと思うのですが、小難しいことを言っていれば高尚だと思い込んでいる人の方が、見ていて哀れに感じてしまうのは私だけではないはず。

いやいや、学問も立派な人間の行いの一つですので、比べるものではないんだけども。

それぞれが道なんだな。道そのものには優劣はなくて。

どんな道も極めたら、芸術になる。芸術って何かってきかれたら、感動を与えるものって答えるかなぁ。

文章にも、芸術を感じる。

これも無駄に考えることの一つなのかも? あれこれ考えるの、好きなんだなぁ。考えて、論じるのが好きなんだ。そっか。

「ぐちゃぐちゃ考えてないで、クソして寝ろ!」って、20歳代に仕事をたたき込んでくれた、尊敬する上司に言われた言葉を、思い返しています笑。


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