李香蘭の記事を見て思い出したこと
(投げ銭記事)
先日、朝日新聞かなんかの有料記事だったんだけど、李香蘭の話が載っていて、祖母から彼女についての話はよく聞いていたものだから、見られる範囲まで読んだりした。
1920年生まれの祖母。1920年生まれの李香蘭、こと山口淑子さん。
同い年の二人は北京で交流があったという。
中国人のテイで芸能活動していた李香蘭、中国人のテイで軍隊に入っている弟がいた祖母。
当人たちがもう亡くなっているので想像の域を超えないが、何か通じるところがあったのかもしれない。
(北京に日本人コミュニティがあったという話は聞いたことがあった)
祖母と同居していた唯一の孫だった私は、学童も行っていなかったので
ありあまる時間をすべて、祖母の昔話を聞く作業に費やしていた。
祖母が北京にわたってからの話はなんとも、ネタの一つ一つがアグレッシブすぎて
ちょっと盛ってるんじゃないかと思うような。
この人、よくここまで生き延びてきたな、という感想しか出ない。そんなエピソードばかりであった。
「私と李香蘭と、3人『ヨシコ』だったのよ」
その3人目として名前が挙がった『ヨシコさん』が、かの川島芳子氏である。
小学生の私に、それらの人がどういう人だったかを話す祖母はとても楽しそうであった。
当時「へー」というスタンスで聞いていたものの、中高で日本史を学ぶと「おいおい、ちょっと聞き捨てならないぞ」みたいな話になってくるので
歴史の教科書を祖母に見せて確認を取ったのを覚えている。
中学の時、家に帰ると祖母にお客さんが来ていて、それはきれいなおばあさん、というかおばさまで、
参議院議員をしている、と紹介され、あいさつもそこそこに部屋に入ったのを覚えている。
いま、大人になってふと考えたときに、普通のおばあさんのところにわざわざ議員さんが訪ねてきて上り込むかしら?
と気になったので、心当たりを画像検索してみた。
この人だった。
https://www.asahi.com/topics/word/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E6%B7%91%E5%AD%90.html
もっときちんと挨拶はしておくものですね……
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