「ごきげんよう」といって彼女たちは消えた

(投げ銭記事)

地元駅で女子中学生二人が手をつないで電車に飛び込む、というショッキングなニュースがあった。

そこだけ読んで、私は「センチメンタル・アマレット・ポジティブ」という戯曲のことを思い出していた。およそ25年ほど前に書かれたもので、およそ23年ほど前に、私たちはその脚本で何公演か行った。高校生の頃だ。

戯曲の内容はググっていただけばだいたいわかるのだが、女の子を好きな女の子、先生と不倫中の女の子、友達の彼氏とおかしな関係になっている女の子の3人が、やたら純粋な男の子と出会う。それは神々しいくらいに。

男の子がひとり加わることで仲良し3人のパワーバランスが崩れていく。

そして最後、「ごきげんよう」と挨拶を交わし、お互いにキスをして、3人は手をつないでジャンプする……。

詳細は語られないのだがおそらく飛び降りだろう、と、客席の誰もが思う締め方になっていたし、私たちもそのような演出をつけた。

──死に向かう理由が、わかるようで全くわからない。

親の年齢に近くなった今思うのは、女子中学生ってそんなもんかもなあ、ということ。
生死の境目が非常に希薄だった時代が数年あった。

それから、輝かしいまでにピュアな男の子を前に、私たちはなんて汚れてしまったのだろう、という絶望感。
これは、当時は想像もつかないことだったが、今ならわかる。目の前に置かれたものが綺麗すぎて死にたくなる気持ち。

40も近くなるとそこからさらに2周ほどして、世の中の大半や他人のことはどうでもよくなるのだが(ほんとほんと)、触るものみな傷つくようなお年ごろ。たいした理由に思えないようなことが死に向かわせることって、確実にある。


そんなことを考えていた時に、亡くなった彼女たち二人が、演劇部だったという情報を知る。
彼女たちの学校ではないが、昨年の区の大会で、別の学校がちょうど「センチメンタル・アマレット・ポジティブ」を上演していたことがわかった。

彼女たちは、物語を知っている。

私達がやった時には、2パターンの演出を作っており、ソフト版では女の子3人のキスではなく、ハイタッチでお別れしていた。
去年その某学校の中学生たちがどういう演出で上演したのかわからないが、彼女たちは確実に物語を見て知っている。

その後、彼女たちの学校でそれを上演しようとしていたかどうか、というのが気になりはじめた。


小中高と演劇クラブや演劇部に所属して、その合間に児童劇団にもいたもんだから、10年くらいの間はいつも「誰かになる」生活を送ってきた。

中学も高校も実は途中で退部して半分くらいは所属していないのだけど、それでも私の中では思い入れが強い部活に変わりがない。

なんでやめたかの部分。

中学の時は同級生と仲が悪くなって。
今でも仲いいかって言われると微妙に距離とってる感じあるけど、25年も経って何をいまさらという気持ちもあり、40過ぎたら普通に一緒に酒のんだりしてるんじゃないかなーくらいまでは歩み寄ってきたように感じる。未だにFacebookでは直接繋がっていない。(共通の友人の書き込みにコメントは付け合うけど)

高校に関しては、この舞台を最後に私は部活をやめている。
役が、抜けなかったのだ。
いや、ちがうな、
「役がなくなったら自分が誰だかわからなくなってしまった」、だろうか。

役にのめりこみすぎて私生活とのボーダーがなくなる恐怖。
それを怖いと感じたことがなかったんだけど、急に怖くなって、というか、情緒の安定を欠いてしまい、このまま続けるのもこれを仕事にしていくのも無理だと、限界を見たのだろう。

その説明を当時うまく出来なかったから、「なんで部長がやめるんだよ、意味がわかんねーよ」とずいぶんキレられたものだけど、簡単にまとめるとそういうことなのだ。

自分自身のトラウマ脚本であることから、もしかして彼女たちも?と思ったのだが、そのようないわくつきのホンにならないことを切に願っている。
そもそもあの脚本、リアル中学生がやるもんじゃないけどね!(顧問はそこまでちゃんと見てやらせていたのだろうか)

しかし、約10年後にやってくる息子の思春期。私はうまく付き合えるのだろうか。自分の時のように意味もなく死に向かう(かもしれない)我が子を、親としてどんな気持ちで止めればいいのだろうかな。そこは、異性だから向き合い方がまた違うのかな。


なお、ググッてたら自分の干支1周前の日記がヒットし、そこにこんな記述があったので最後に載せておく。
高校の演劇部仲間と会ってこの「センチメンタル〜」の思い出話をした時のこと。

私は台詞はほとんど忘れちゃってるんだけど、覚えてんだよね、ひとり。かなり鮮明に。
私の台詞で「ほれさせたいの。あたしは惚れないけど。」ってのがあったらしく、私を見る度にそれを彼女はいつも思うのだそうだ。

役が寄ってくるのか役に寄っていくのかわからない暮らしをしていたけど、それどころじゃない、もっとハードな現実がそのあといろいろあって(ガッツリ割愛)もろもろあって結婚し、お母さんになって毎日ヒーヒー言っている今、かなり安定した気持ちで毎日過ごしている。

※もちろん5歳児相手に毎日イライラして怒鳴り散らしたり抱きしめたり、他人が見たら錯乱しているように映っているだろうが

中二病の雰囲気に流されて、10代のころ“なんとなく”死ななくてよかったし、生きてるとつらいことも死ぬほどあるけど、その倍楽しいこともあるよ!ってのは、生き残った人じゃないと言えないセリフなのがつらい。

(了)


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