Paris brûle-t-il?

私がパリにいったのはおよそ22年前、17歳のころでした。
高校ではフランス語専攻だったので、授業を休んでの旅行にも学校は寛容でした(まあ、学校がちょっとアレだからな!)

学年にフランス語専攻はそんなに多くありませんでした。
最終的に2年次には3人。うち1人は幽霊部員のようになっており、私がノートを都度コピーしては渡していました。

そもそもは、フランス語専攻の相方である女子の、親御さんの会社の社員旅行(説明が長い)にくっついていったのでした。
よく親も、友達と一緒とはいえ高校生をふらっと海外に出したものだなあと思います。

スウェーデン経由でパリに入りました。
スウェーデンがとにかく寒すぎて、たとえるなら、耳がちぎれるほどの寒さだったので、3月のパリはコートがいりませんでした。多少、こちらの感覚が麻痺していたせいだと思います。

なんせ20年以上も前のことですが、覚えているのは

・エッフェル塔の前でエッフェル塔ポーズで写真を撮ったこと。
・新聞が欲しかったんだけど「Journal(ジュルナル)」とフランス語で発音がなかなかできなくて通じなかったこと(結局英語で押し切った)
・お金がなかったので街角のパン屋でパンを買って食べながら歩いたこと
・蚤の市でなぜか黒電話を買ってしまって、持って帰るのに苦労したこと
・同じく蚤の市で手鏡を買ったのに、スーツケースに入れてしまって粉々になったこと
・国営放送で無修正の(以下略)。「さすが愛の国ですね」と感心した
・ツアーで一緒のおじさんに連れられてすし屋にいったんだけど、職人が全員パキスタン人だったしインディカ米の鮨が出てきた
・相方女子がまったくフランス語を喋らずに私が通訳させられたことに腹を立てて喧嘩した(スウェーデンでもこの人英語一個もしゃべらなくて私が通訳してた)
・アニエスbのショップで日本人が困ってたので通訳した
・オランジュリーはいったけどルーブルはいかなかった(今にして思えば行っとくんだった!)
・モンマルトルは怖い

ああ、意外と覚えてますね。

メトロは乗ったかなあ、でも電車の1日券を右往左往しながら買った記憶があります。

当時、まだ治安がよかったし、私も独身(そりゃそうだ、学生だ)だったので、ふらっといくことができたものの、家庭もあって情勢が悪い今、今後なかなか気軽に渡航というのはきびしいかもしれませんね。

若いときには旅をせよ、と、子どもたちには言いたいんだけど、そのためには物騒なアレやこれやがおさまるのが第一ですよね、ええ……。


※友達に許可取ってないんで自分のところだけトリミング。17歳の私とエッフェル塔です。


※追記:
オランジュリーにいったのはモネの睡蓮があったからなんですけど、レポート出せば、旅行によるお休みで欠単してた美術の単位くれるって言うんで、まあ、そういうことだったんですよね……。

いろいろは欠単しながら、卒業しましたね、それでもね……。


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