準備できた。
叶えたい現実があるけど、じゃあそれに見合う自分なのか、ってハッとしたんですよ。
あの人ずるい。なんであの人ばっかり。私だっていい思いをしたいのに。
みたいな醜い感情がどんどん溢れ出ていた最近。
でもそれって、ただ人の持ってるおもちゃを何の労力もかけずに「私によこせ」って駄々こねてるだけだって気がつきました。
私なら、そんな人に何もあげたくないです。
それに、「いいよ、あげる。」っていざポンっと渡された時に、今の私はきっと驚いて、戸惑って、受け取れる準備ができてない。そんな自分がいることにも気がついた。
ありとあらゆるできない言い訳をして、そうこうしているうちに前髪しかない神様があっという間に去っていくような現実だし、自分だった。
って、気がついた。
たとえば、
海外に行きまくっててずるい!あたしも行きたい!って駄々こねてる人に、よっしゃ、1週間後にヨーロッパ行けるぜ。という機会が巡ってきたとする。
でも、その人は行けませんでした。お金がない?休みがない?いいえ、パスポート、持ってなかったんですって。みたいなことはわりとある。(例えです)
はい…?ってなりますよね。
意味わからないよ。行きたいんじゃなかったの?
お金や時間は渡航ギリギリまで調整することができてもさすがにパスポートはそれなりの準備期間いりますよね。準備してなかったんですか?ずるい!ずるい!って文句垂れてましたよね。それならなんで、準備してなかったんですか?ってなりますよね。
叶わないと思った?
今じゃないと思った?
なにもしてないのにずるい!あたしも欲しい!って叫んでたの?自分からは何 も せ ず に?
って、私ならなります。
そしてそれが、今の私。
これはあくまで物質的な例えだけど、こういうことをやってしまってると思う。
受け取れる。その覚悟さえあれば。
そういうことがきっと、それなりにある気がする。
「準備できた!」
「いつでもどうぞ!」
明るくそんな風に言ってる人に、私なら惜しみなく与えたい。だって喜んでくれそうだし、何よりその人、楽しそうだから。
自分が受け取れないのは、自分がそれを拒んでるから。自分が表面的にどう思っていようと。
チャンスや幸運って突然やって来る(まじ)
だから
「準備できた」
って言ってみる。
できてなくていい。ハッタリでいいから。
そして、そのつもりで行動する。そしたらいつの間にか叶ってる。当たり前になっている。
願いが叶う時はいつだってそうだった、
って思い出した。
さ、やることやろ。
そう思っています。
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