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ネタバレいっぱい海神再読 第二十九回 六章3. 斡由の信じたもの

あらすじ:牢屋に駆け込む更夜。赤索条から解放され、しかし驪媚の血を浴びて意識不明に陥る六太。
更夜の報告を受けた斡由と白沢の問答。斡由はまだ信じていた、民も説明すれば解ってくれる、と。

●麒麟と血の穢れ

大きいのの警告にもかかわらず六太に駆け寄ろうとし、使令に襲われかけたにもかかわらず六太に呼ばれたら迷わず駆け寄る更夜はいい奴だ。
六太は血に弱い。血に触れたわけでなくても、近くで怨みをもって流血して死んだ者がいたら亦信の時のように熱を出して寝込むんだから、自分の身に血を浴びたりしたら当然か。驪媚は血の障りを甘く見てたか、余程度を失ってたか。驪媚の怨みは大部分斡由へだろうけど、王を支持しない六太への憤りも多少は混じってたかも。
ところで、

斡由)大事なかったのだから良しとするしかないか

と無神経な事をほざく奴。
これは流石にいかんでしょ、二人死んでるんだから。こういうこと言うから嫌われるんだぞ。
まあ、斡由は雑かもしれない。人は自分の命を惜しむとか、あくまで合理的に動くはずと思ってるフシがあるね。そういう雑さは割と好き。

●命を懸けるということは

白沢)我が州のために、そこまでする官がおりましょうか

四章1で自分も命がけの宣戦布告をやってるんですが、この後も自己犠牲発言してるんですが、自分は度外視?

白沢)王は驪媚に命を捨てさせるだけのお方でございました

この考え方はあまり好きじゃない。誰かのために命がけのことをした(で結果的に死んだ)者、ならともかく、誰かのために命を捨てた者がいたかどうかで誰かの価値を測るのは違う。その極致は死後の後宮に侍れと十三万人も殉死させた梟王だから。
にしても…白沢ってこんなとこでこんなこと言ってたんだな。
八章の終わったあとの白沢に話したい。あなたはあの時斡由にこう言ってたんですよと。斡由はあなたがこう言うのを聞いたんですよと。
白沢って地味で真面目で外見初老だけと、意外と天然無自覚人たらしではないだろーか。

斡由)お前は私にどうせよと言うのだ?

これは七章2でも繰り返される台詞。斡由が多分ずっと自問し続けてただろう台詞。斡由はどうしたらよかったのか。これからどうしたらいいのか。

白沢)必ず拙めがこの命で卿伯の御命を
斡由)買ってくれるというわけか?ーふざけるな!

ふざけるな、も繰り返される台詞。六章4と七章7で、尚隆に。
白沢の言うのは自分の命で斡由の命を買う、斡由の命乞いをするって事だろう。対して斡由の言い分は
①それで通るはずが無い
②こっちが悪い訳じゃない
③自分はそんな恥知らずじゃない
…てところか。

●斡由が信じたもの

斡由が盾にしてるのは理。民に理を説けば元州の結束は崩れず、まだ勝ち目はあると主張する。その裏にあるのは実績。荒廃と五十年近く戦った実績が築いた民の評価。
対して尚隆が剣としているのは王への期待。だけどその「王」は尚隆でも梟王でもない。尚隆は良い政策もいっぱいしてるけど、宣伝してるのは自分がやったあれこれじゃなくて「王」という虚名。
これって危なっかしくないですかね?自分のやった事じゃなくて虚名を全面に押し立てる。わざと堤を造らせない策と同じようなうそ寒さを感じる。
…念の為に述べますが、私は尚隆大好きです。けど、八章2がなかったら、むしろひやっとするキャラだったかもです。
閑話休題、「王」という虚名に対し斡由の実績はどれだけの力を持っていたか。天意に抗した時人の営みはどれだけの力を持てるのか。これって結構シリーズテーマじゃないかと思うんですが。
しかし、尚隆がきてからの二十年間で、民の中では荒廃の事も梟王の事もどんどん薄れていっている。なのに斡由だけが自分の実績にしがみつき続ける理由は、この後七章で明かされるって訳です。
さすが小野作品、そつが無い。

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