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あなたはなぜ、その仕事を選んだのか?

 もしあなたがサラリーマンなら、今の仕事でサービスを倍増できそうな点──仕事のいくつかの側面──はないであろうか。
 人が知る必要のあるもの、知りたがっているものは何か、等々を把握しているだろうか。
 あなたの興味のあることはなんだろう。よく考えることだ。

 しかし、その際は、紙と鉛筆を忘れてはいけない。いつもメモをとり、自分の考えを書く習慣をつけるようにしよう。

 報酬は、奉仕に正比例するものであるということをつねに頭に入れておくことにしよう。あなたがより多くの人に奉仕できる手段──合理的で、しっかりとした、健全な手段──を見つけ出せば、報酬も増加していくのである。


 ところで、サービス・報酬の考えをしっかり理解している人は何%ぐらいいるだろう。100人のうち1人でも知っていればよいほうではないだろうか。むろんこの数字は概算にすぎない。

 何人の人が「種のまき方で、収穫が決まる」という言葉を信じているだろうか。95%の人は、言葉くらいなら知っているだろう。が、実際にこの名言を人生の糧として生きている人はそれほどいないだろう。

 知ってはいても、知らんぷりというのが実情ではないだろうか。だが、この普遍的法則は、人生のどの瞬間にも有効なのである。人の世は、善因善果、悪因悪果、因果応報でできている。行動を起こせば必ず反応があるのだ。


 ロバート・ハッチンス博士がシカゴ大学の総長だったころ、ある人に「さすがにあなたでも、年老いた犬に新しい芸を教えることはできますまい」と言われてこう答えたという。「人間は犬ではなく、教育は曲芸を教える手段ではありません」と。

 欲しいと思うものは、ほとんどすべて、人が提供してくれるものだ。
 あなたが役立つ人間であるということ──つまりあなたが身銭を切るだけのものを提供してくれる人間であるということ──を認めてもらえたなら、人は喜んでなんでも分け与えてくれるものなのである。

「一生懸命やってきたが、それが形となって表れない」といった言葉を耳にしたことがないだろうか。私はこの言葉を子どものころよく聞いたものだ。

 しかし、仕事と報酬には、はっきりした関連があるものなのである。奉仕する範囲が限られていれば、収入にも限度がある。
 ところが、ほとんどの人は、今の状態に満足して生活を変えようとはしない。


 かつて、私の家の家政婦が、「いくら働いても収入が増えないと夫がこぼしている」と話していた。彼女の夫は、自動車の修理工だった。1日8時間働いていたが、1日に1台の車しか修理していなかった。

 このような仕事の仕方にどれくらいの価値があるのだろう。客はいくら修理代を払うのだろう。また、諸経費はどれくらいかかっているのか。

 確かにこれでは顧客に修理代金を払ってもらうまで、彼の財布の中にお金を残しておくのは、難しいことかもしれない。しかし、この人は修理工という仕事を選んだのだ。彼は、自分の仕事の将来についての計画は自主的に立てようとしなかったのである。

 そしてあらゆる点で最もすんなり入れる職(少なくともアメリカでは)を選び、今も修理工という職には少しの不満も持っていないようである。何か改善の余地があるのではないか、というアイディアを思い浮かべようともしないのだ。


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