見出し画像

マインドフルネス=念=サティ(『ブッダ式レジリエンスの鍛え方(仮)』)【7】

 前回、「マインドフルネス」という概念がビジネスの世界でも注目されていることをお話しましたが、この概念は仏教と密接に絡んでいます。今回はそのことを説明してくれます。

★★★

マインドフルネスとは仏教の「念」である

「マインドフルネス瞑想」の起源は仏教の瞑想にあります。
 英語では「マインドフルネス」という言葉に翻訳していますが、これが示す「今に意識を向けて注意力を保っている状態」は、仏教では古くから漢字1文字で表してきた概念です。

 それは「念」です。
「念」というと、「祈念する」「念仏」などの言葉から、「願い」を思い浮かべるのではないでしょうか。
 しかし、漢字の成り立ちを見てください。「今に心」で「念」です。本来の意味は「今に意識を向けて注意力を保っているココロの状態」を意味しているのです。

「念」をパーリ語では「sati(サティ)」と言います。
ブッダは弟子達に対して、繰り返し「サティ」を保ちなさい、と言い続けます。初期仏典から引用します。

 世尊は修行者たちに告げた。
「修行者達よ。修行者は注意を保ち意識的でありなさい。これはお前達への諸仏の教えである。(中略)修行者たちよ。修行者たちが注意を保ち意識的であるというのは、どのようにする事であるか。
 ここで修行者は、出て行く時も、戻るときも、よく気をつけていて、前を見るときも、後ろを見るときも、よく気をつけていて、腕を伸ばし縮めるときも、よく気をつけている。(中略)
 食し、飲み、噛み、味わうときにも、よく気をつけている。行き、立ち、座り、眠り、めざめ、語り、沈黙しているときにも、よく気をつけている。
 修行者たちよ。修行者はこのように実に意識的であるのである。修行者は、このように念じて注意を保ち意識的でありなさい。これがお前たちに説く諸仏の教えである」
(Diîga-Nikâya94.28-95.14)

 ブッダはさまざまな場面を想定して注意を払い、意識的でありなさい、と教えていますが、これを要約すれば「日常生活すべて」です。歩いたり、座ったり、人と話したり、ランチしたり、私たちが日常で行う動作の一つ一つを指して無自覚にならないように、動作に意識を向けなさいと伝えています。

★★★

 あなたの日々の生活を思い返してみてください。あなたが行う一挙一動には、さまざまな無意識が潜んでいると気づくはずです。足を組んだり、頬杖をついたり、相手の言葉に「でも」という言葉で返してしまったり。そのように無意識的に行動することをやめ、何ごとも自分で意識して行動しなさい、ということをブッダは伝えているのです。

 でも、いきなり日常の中で意識的に動く、といっても難しいと思います。ぎこちないロボットのような動きになってしまうかもしれませんし、もしかしたら動作に集中し過ぎて危険に気づかないかもしれません。
 そこで、まずは自宅などで注意力のトレーニングを少し行い、自然に意識を払うということに慣れる必要があります。

 そのトレーニングの基礎となるものこそ、ホームワークとしての「瞑想」です。静かな場所で「意識する」ことの練習を重ね、それを日常生活のなかでも応用できるようにする訓練なのです。
 瞑想の具体的なやり方はあとの章で述べますが、ここではとりあえず「最近話題のマインドフルネスとは仏教の『念』のことなんだ」とだけ理解してもらえれば大丈夫です。(つづく)

早島英観
http://www.akafunkun.net/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?