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目標設定には弊害がある【魔法の4秒】4

「ソフィア! ダニエル! イザベル!」
 ぼくは自宅のマンションで、3人の我が子が遊んでいる寝室の方へ向かってどなった。
「あと10分でスクールバスが来るぞ。さあ、いちばん早く歯を磨いて玄関に行ける人は誰かな?」
 3人は、くすくす笑いながらバスルームへ走っていった。2分後、ダニエルが僅差でソフィアに勝った。ソフィアのすぐあとにイザベルが続いた。ぼくは、自分の勝利ににんまりした。記録的な速さで子どもたちに歯を磨かせ、玄関へ行かせるという目標を達成したのだ。

★★★

 ……本当に達成したのだろうか?
 たしかに、3人は時間内に玄関に着いた。だがスタートからゴールまで2分しかかからなかったということは、歯磨きがおざなりだったということだ。もちろんデンタルフロスなんてしてるわけがない。おまけにバスルームは散らかり放題だ。

 目標を設定するのが、どんなに大事なことかは誰もが知っている。しかもどんな目標でもいいというわけではなく、背伸びした目標だ。いわゆる「社運を賭けた大胆な目標」(ジム・コリンズほかが著書『ビジョナリー・カンパニー』で提唱した概念)である。なるほど、もっともな話だ。ビジネス界では、目標を設定するのが常識とされている。

 調査結果もそのことを裏づけている。たとえば、ハーバード大MBA課程の1979年度卒業生を対象に行われた調査がある。あなたも話に聞いたことがあるのではないだろうか。卒業生のうち、具体的な目標を書きとめておいたのはわずか3%だった。10年後に再調査すると、この3%は残りの卒業生を全部ひっくるめた以上の業績を上げていた。

 ――ただし、もしこれが事実だとしたら、だ。あいにく事実ではない。こんな調査は存在しない。都市伝説である。でも、いかにもありそうな話ではないか。背伸びした目標設定の効果を疑うのは、ビジネスの根幹を疑うにひとしい。どういう目標を設定するか、どのように設定するかについて異論のある人はいても、そもそも目標を設定するか否かについて異論のある人はいないだろう?
 いや、いる。このぼくだ。

★★★

 ハーバード・ビジネススクールが作成した『目標設定の副作用』というワーキングペーパーがある。筆者らは目標設定をめぐる各種の調査研究を検討した上で、次のような結論に至った。目標設定についてはプラス面ばかりが誇張して伝えられており、マイナス面、つまり「目標設定がもたらす組織的な害悪」が軽視されていると。
 筆者らは、目標設定にともなう顕著な副作用をいくつか発見した。「フォーカスが狭まり、目標と関係の薄い分野には目もくれなくなる、反道徳的行動が増える、適正なリスク選考が行われなくなる、組織文化が腐敗する、内発的モチベーションが低下する」などだ。報告書が挙げる、目標設定が副作用を生じた例を2つ紹介しておこう。

●米デパート・チェーンのシアーズが、自動車修理コーナーのスタッフに、作業時間一時間あたりの売上147ドル以上という生産性目標を課した。さて、従業員のモチベーションはアップしただろうか? もちろん。料金を過大請求しようとするモチベーションが、全社的にアップした。
●フォード社製の乗用車、ピントを覚えておられるだろうか。追突されると炎上する欠陥車である。ピントによる死者は53名、負傷者はそれよりはるかに多かった。安全面の詰めが甘いまま発売に踏み切ったせいだ。リー・アイアコッカの社運を賭けた目標、つまり1970年までに「重さ2000ポンド以下、価格2000ドル以下」の車を開発するという目標を達成しようとした結果である。

 もうひとつ、『ニューヨーク・タイムズ』紙に載ったケースを紹介しよう。米NFLチーム、ニューヨーク・ジェッツの元クオーターバック、ケン・オブライエンは、しょっちゅうパスがインターセプト(相手選手にカット)された。そこで、一見ごく妥当な目標を課せられた。「インターセプトされる回数を減らす」という目標だ。1回インターセプトされるごとに罰金を払わされることになった。これは効果があった。
 オブライエンがインターセプトされる回数は減った。ただしそれは、そもそもパスを出す回数が減ったからだった。そしてトータルでみると、オブライエンの活躍はむしろ減った。

★★★

 目標設定がどういう副作用をもたらすか、前もって予見するのは不可能に近い。目標は具体的な、評価可能なものにしろとか、期限を区切れとか言われる。しかし、じつはこういう条件こそ、目標設定が裏目に出る元凶である。
 具体的で評価可能で期限つきの目標を設定すると、フォーカスが狭くなってしまう。ごまかしや近視眼的行動を誘発することもよくある。たしかに、設定した目標を達成できることは多い。だが代償もあることを忘れてはいけない。

 では、目標を設定しないとしたらどうすればいいのか?
 ぼくの提案はこうだ。目標を設定するかわりに、重点分野を設定してはどうだろう。たとえば営業目標というと、普通は目指す収益額や新規顧客の獲得数だろう。業務目標なら、コスト削減などが考えられる。これに対して営業部門の重点分野としては、たとえば有望な顧客候補とまめにコミュニケーションをとること。業務部門の重点分野としては、コスト削減に向けて見直したい分野をピックアップすることなどが考えられる。
 もちろん、両者は互いに排斥し合うものではない。目標と重点分野と、両方あってもかまわない。実際、両方とも必要だという考え方もありうる。目標によって目指す地点を定めておいて、重点分野によって目指す地点までの道筋を描くというわけだ。

 しかし、目標は設定せず重点分野だけ設定することにはメリットがある。重点分野だけを設定した場合、自分の内発的モチベーションが引き出される。ごまかしてしまおうとか不必要なリスクをとらねばとかいう衝動に駆られることもない。せっかくの可能性やチャンスを、目標と関係が薄いからといって切り捨ててしまう心配もない。コラボレーションが活発になる反面、非生産的な競争は減る。しかも、自分や所属組織が最重視する活動を推し進めることができる。
 言いかえれば、重点分野には目標のもつメリットが全部備わっており、しかも目標の副作用はない。まさにいいとこ取りだ。

★★★

 具体的にはどうすればいいのか? 簡単なことだ。まず、自分の時間を何に使いたいか、あるいは自分と上司からみて自分の時間をどう使うのがいちばんいいと思うかを決める。決めたら、その活動に時間を使うのだ。あとはおのずとうまくいくはずだ。
 ぼくの経験では、主な重点分野はせいぜい5つが限界である。それ以上増やすとエネルギーが分散してしまう。大事なのは、成果目標を設定したいという誘惑に負けないことだ。目標はあえて設定せず、あとで嬉しい驚きを味わう方がよい。これは簡単なことではない。ぼく自身、目標にこだわるのをやめようとして初めて、自分がこれまでいかに目標にこだわっていたかに気づいた。目標がないと、「必ず成果が上がるはずだ」という自信をもちにくいのだ。
 しかし、意外と目標がなくても成果は上がるものだ。しかもぼくの経験では、少なくとも目標を設定した場合に匹敵するくらいの成果を達成できるだけでなく、そこへ行き着くまでの過程が、目標を設定した場合よりもはるかに楽しいものになる。不必要なストレスや誘惑から解放されるからだ。

 結果でなくタスクに集中すれば、子どもたちが時間どおりに玄関に到着する。しかもこっちの場合はフロスもし、歯もしっかり磨き、そのうえバスルームが散らかりっ放しになることもない。(つづく)

★★★

『魔法の4秒』
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