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書くこと

わたしにとって「書くこと」とは、なんだろう。

「書くこと」のはじまり

保育園のころから、書くことが好きだった。
自作の絵本を何十冊もかいていて、いっちょまえにシリーズ物なんかもかいていた。

小学校に上がるときに、絵本のコンテストに応募した。それまでは裏紙にかいて適当にホチキス留めをしていたが、初めて「製本テープ」というものを使って綺麗に製本した。

題名は『きいろいランドセル』。当時まだ赤が主流だったが、わたしはなぜか黄色いランドセルを選んだ。特に黄色が好きなわけではなく、目立つことも嫌いだったのに、なぜ黄色を選んだのかはわからない。

6歳ながら絵本をたくさんかいていた自負があったからなのか、なぜか入賞できるだろうなと思っていた。

結果は落選。参加者として名前と題名が掲載されただけで、わたしの絵本が冊子に掲載されることはなかった。
入賞者の作品を見てびっくりしたことを覚えている。わたしが今までかいてきた絵本とは、レベルが違かった。

模範解答に閉じこもった学生時代

小学校に入ってから「正解」を求められる世界になり、怒られるのが嫌いだったわたしはとにかく「正解」を求めて過ごしていた。授業も宿題も真面目にこなして、模範解答だけを信じていた。

国語の授業は、教科書に掲載されている本をたくさん読めるから好きだった。だけどここでも「正解」を求めてしまい、自分で考えるより先に模範解答を求める癖がついた。

幼いころから読書をしていたせいか、国語の問題を解くのは得意だった。模範解答を見れば理解できるし、テストのために覚えることも難しくはなかった。

長期休みの宿題になる読書感想文も、当たり障りのないことを書いた。本当に自分が考えたことを書いたら間違っているかもしれない、的外れかもしれない。間違いなんてないのに、びくびくしながら字数を埋めていた。

読書感想文で表彰されることも多かったせいで、これでいいのだと思っていた。高校入試とセンター試験で良い成績を残したことも、その考えに拍車をかけた。

模範解答を覚えたらどんなテストでも良い結果になる。
自分の考えを書かなければ読書感想文も表彰される。
そして、唯一自分で考えてかいた絵本は落選。

1回しか自分の考えで挑戦したことがないくせに、自分で考えたら良い結果にならないんだと思い込んでいた。

自分の考えとは

もうすぐ大学4年生になろうという春先のこと。
このまま少しもやりたいことがないままで、よくわからずに就活をするのかと不安になった。

過去からヒントを得ようと遡ってみると、やっぱりわたしは「書くこと」が好きなんだと気づいた。そうして色々ググりまくり、フィリピンの語学学校でWeb記事を書くインターンシップに辿り着いた。

そこで執筆したインタビュー記事は、自分の考えを書くことに恐れがあったわたしに新たな発見をくれた。

誰かの経験や考えを、自分の言葉を通して再構築すること。
その作業は、自分を見つめ直すことにもなる。誰かの考えに触れることで顕になる自分の輪郭を知ることが、楽しかった。

自分の考えとは、100%自分から生み出されるものではない。
誰かと話して、何かを読んで、何かを見て感じるもの。
自分の考えは、様々なフィルターを通して初めてその輪郭が浮かび上がるのだと気づいた。

これから

半年間のインターンシップで得た大きな気づきを大切に、わたしはこれからも「書くこと」を細々と続けたいと思っている。

本を読んで感じたこと、
誰かと話して感じたこと、
過去の自分と対話して感じたこと

フィルターを通して浮かび上がった輪郭が、わたしの考えだ。

強制はしない、プレッシャーもかけない、間違いなんてない。
そんなのもう誰でも知ってるよ、なんて考えなくてもいい。

何かを知ったときに言葉にして、自分の立ち位置を確認するために。
これからもたくさん書こうと思う。


おわり

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