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一本の線から拓かれる未来を、信じてみたい

人生でいちばん、美しい花火を見た。

その花火を見上げていたら、涙が止まらなくなっていたんだ。


2019年8月5日、長浜・北びわ湖大花火大会。

東京にいた頃は人混みを回避したくて花火大会に行ったことがなかったし、見たとしてもほんの一部。花火大会の最初から最後まで見ていた記憶なんてほとんどない。

でも東京から引っ越した先の滋賀県長浜市で大きな花火大会があると聞いて、足を運んでみることにした。

長浜市での一年に一度の大きなイベント、琵琶湖から一万発の打ち上げ花火を上げる名物の花火大会。あの小さな長浜駅がパンクするくらいに、たくさんの人が訪れる夏の夜。


19:30、打ち上げスタート。地面に座った私たちを包み込むかのように、大きな大きな花火が、上がった。

一発ずつ丁寧に作りこまれていることを想像させる、趣向を凝らした花火たち。打ち上がってからミラーボールのように部分部分で色を変化させるものや、琵琶湖の湖面に横一列で同時に上げられて、身体の芯に響く音とともに夜空に何輪も咲く夏の華。

一瞬一瞬が過ぎていくことを惜しむように、iPhoneさえ持たずに首を固めてじっと夜空を見つめていたら、気づけば瞳からさらさらとなみだがこぼれ落ちた。見上げた花火がにじむこともないほどに、重力にしたがってただただ流れ落ち、頰が濡れていった。

一発目の花火が私を照らしたときから、「ああ、これは泣いてしまうだろうな」と思った。それは、東京にいたあの頃の私であれば、同じものを見てもきっと流さないであろう涙。



東京から滋賀県長浜市に引っ越して、ずいぶん月日が流れた。滋賀での初めての夏が終わったら、地域暮らし一年生から二年生になる。

今だから言えるけれど、引っ越すとき、そりゃあ不安だった。東京と神奈川にしか住んだことがなくて、地域でのコミュニティに惹かれながらもその中で生きたこともない。

なのに、誰も知り合いがいない土地に私は引っ越そうとしている。自分で望んだこと、だから不安なんて言っても仕方なくて誰にも言わなかったけれど、一瞬先の未来を考えるのが恐ろしくて胃がねじれそうだった。


あれから11ヶ月。

長浜花火大会に行くことを話せるひとがいて、Twitterでつぶやけばどこで花火を見やすいか教えてくれるひとがいて。

花火大会に行く道すがら、たまたま会ったら「あのひとに連絡すれば花火を見やすい場所を教えてくれるかもしれないよ」と教えてくれるひとがいて。

打ち上げられる花火と一緒に、滋賀に引っ越してから出会ったひとの顔が次々に心に浮かんで。

一年前は滋賀に住むことすら考えていなかったのに、今ではこんなにたくさん大切なひとがいる。

みんなが手を差し伸べて、支えて、関わってくれて、私の分のしあわせをつくってくれているなんて、あんまりにもぜいたくで、やっぱりしあわせだと思った。


そう、長浜に引っ越したことで、私のしあわせは本当にたくさんのひとにつくってもらっているんだと知った。

この花火大会だってそうだ。

いつもの何倍も人があふれている駅を、臨時のチャージ機を設置しながら駅員さんたちが必死に対応していた。終わった後に最後の電車で家に帰ろうとしたら、先に終電を終えた反対車線に駅員さんたちが集まって、普段の何十倍も使われたホームを掃除して、ゴミを片付けてくれていた。

駅から花火大会の会場に至るまでは、何万人ものお客さんを行きも帰りも案内するために、たくさんの市役所のみなさんが暑い暑い屋外に何時間も立って、誘導してくれていた。

市役所勤務の友だちは、花火大会の日は毎回誘導の仕事だから、自分はほとんど花火を見られないと言っていた。ようやく誘導が終わった日付が変わる手前の時間に、ブヨに刺されて熱が出たとラインが来た。


東京では、すべてがシステムの上にまわっていた。その後ろには顔の見えない誰かがいることをギリギリ一瞬想像できたとしてもすぐに忘れてしまうくらい、今その瞬間に自分が東京という戦場で生き延びるのに必死だった。

でも引っ越してきてから、システムなんて想像のものでしかない、実体がなかったんだと気づいた。

私の暮らしを、顔の見える誰かが支えてくれている。お米で、野菜で、スーパーで、定食屋さんで、本屋さんで、お寺で、お祭りで、イベントで、そのすべてで滋賀の大切なひとたちが、私のことを生かしてくれている。


東京にいた頃は「参加するもの」だったお祭りも、今は違う。

子どもたちがお祭りで楽しんでいる姿を思い描きながら、顔見知りのひとたちが汗を流して準備して、開催してくれている。

その思いに触れたいま、私はただ参加することは、もう終わりにした。準備を手伝わなくても、参加することで一緒にお祭りをつくるつもりで、地域のよりよい未来を一緒に思い描くために、お祭りに行くと決めた。

だってきっと、地域にたくさんの子どもたち、若いひとたちが一年で一番同じ空間に集まる日がお祭りなんだから。

長浜花火大会では、こんな光景を初めて見たと思うくらいにたくさんの若いひとが駅と道路、公園をいっぱいに埋め尽くしていて、うれしかった。それはもう、花火大会の前後には会場で携帯の電波が入らなくなるくらいに。


だから思わず、心から願ったんだ。

私は準備もなにもしていないけれど、長浜の未来への大切な願いがたくさんたくさん詰まったこの花火大会を、あなたたちが楽しめますように。美しい花火が、あなたの思い出になりますように。

花火の玉を一つずつつくったひとも、打ち上げたひとも、開催するためにお金を出したひとも、誘導したひとも、駅員さんたちも。そして一緒に花火を見上げている長浜の大人たちも、わたしも。

長浜にあなたが来てくれたことを、きっと心から喜んでいるよ。そして今日の花火が、長浜の未来とあなたとをつなぐ架け橋になりますように。花火を夜空に花開かせるように、わたしも一緒に、長浜の未来を描けたらいいなって願ってる。


無意識に願いながら見上げていたくらい、長浜の花火は、今まで見てきたどの花火よりも美しかった。そして、長浜の大人たちの心からの願いがまばゆく咲き誇った夜空の大輪を見ていたら、涙をこぼさずにはいられなかった。

東京から遊びに来ていて一緒に花火大会に行った友人たちが、「一つずつ大切につくられていて、打ち上げ方にも気遣いを感じる。東京の大規模な花火大会より好きだな」と満喫してくれたことも、とてもうれしかった。

わたしも、だいすきな長浜の未来を一緒に描きたい。いや、花火大会に参加させてもらった以上、もうすでに描きはじめているんだ。

だって、その未来には私もいる。つくりたい未来は、自分でつくる。


長浜への思いがたくさん込められていて、未来の描き方を教えてくれた、素晴らしい花火大会だった。

開催にあたって力を尽くしてくださったすべてのみなさま、そして滋賀に引っ越してから出会ってくださったすべてのみなさま、本当にありがとう。


ちなみに来場者数を参考にした記事を書いた知り合いから、たぶん10万人じゃないですごめんねって連絡がきました。でも琵琶湖の反対側からも岐阜との間の山からも見えるから、だいたい10万人でいいんじゃないかな


東京にいた頃の夏は花火大会にもお祭りにも行かなかったけれど、今年の夏は5つくらいのお祭りに行く(1つ以外はすべて滋賀県内)。花火を見るのは3回、他に流しそうめん大会に行き、人生初のビアガーデンにも行った。

言葉で並べると笑ってしまうくらいに浮かれたサマーだけれど、一つひとつに、意志を持って参加するつもりでいる。

滋賀、そして唯一滋賀県外で参加するお祭りは、取材させてもらっている奥多摩。私たちの、よりよい未来を描くために。子どもたちと、地域の外から遊びに来てくれたひとに、思い出を持ち帰ってもらうために。


というわけで来週末は、奥多摩のまちおこし団体「Ogouchi Banban Company」のお祭りのために東京に行きます。


いつだって、描いてみたい自分の未来は、自分で一本の線を書いてみることからはじまるんだから。


アイキャッチ・本文中の花火写真/photo by Miwako Yamauchi


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