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初めての試み、「一年間密着取材」にチャレンジしています

家のタイミングの関係もあって今住んでいる滋賀から拠点を移すのかどうかを迷っていた時期もありましたが、「誰と過ごしていたいのか」を最優先に考えて、ここからの一年間今の場所に住み続けることを決断しました。一年をかけて何をしようとしているのか、ここでご報告させてください。

地域に引っ越して初めて「やりたい」と思ったこと

生まれ育った首都圏を離れ、滋賀県に引っ越してから9ヶ月以上が経ちました。都心に行くと、ここで生きていた時間がすでに遠い昔のようです。

ふしぎなご縁で暮らすことになった滋賀県北東の長浜市で、引っ越してくる前の自分を思い出せないくらいに、たくさんの出会いに恵まれながらのびのびと日々を過ごしています。

「なんで引っ越したの?」としょっちゅう聞かれるのですが、特に理由はないんだと思います。小学生の頃からずっと、地域で暮らしてみたかった。それを実現するタイミングがやってきた。ただそれだけ。

たまに「仕事のために引っ越したの?」とも聞かれるのですが、今の私の仕事は圧倒的に東京のクライアントさんからいただいているものが多いです。

地域ではまずは「同じ地域で暮らすひと」として認識していただき、一対一で関係を築き、そこからお仕事のお話をいただけるかもしれなくなる関係まで深めるには時間がかかるから。

そもそも私が引っ越した理由は「地域で仕事をするため」ではなく、「地域で暮らすため」。だから引っ越し先の長浜市で仕事をつくらなきゃと躍起になったことはありません。

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とはいえ仕事で月に一回は東京に行っている私のライフスタイルを見ていると、東京と滋賀を往復することに意味を求めたくなるかもしれないけれど。

空が高くて星がたくさん見えて、山と湖が近くて、家の中を気持ちいい風が吹き抜けて、田んぼと畑が家の周りに当たり前のように存在していて、都会から帰ってくるとたくさんの会いたい顔が思い浮かぶ街。

私はただ、滋賀のこの街で過ごしている時間が幸せで、家がここにあって一緒に暮らしていたいひとたちがいるから、だからここに帰ってくる。その理由があれば、移動なんてたいした苦ではないのです。


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でも不思議なもので、池の底から泡がふわっと浮かんできて水面に顔を出すように、地域に引っ越してから少しずつ「ここでやりたいこと」が見えてきました。

特に、東京にいた頃は仕事に関係する「どんな記事を書きたい」「こんなテーマをやりたい」と思うものがあまりなかったので、「書きたいこと」が心の中でうまれてきたのは新鮮な感覚。

きっと、自分が立っている舞台の輪郭と、客席で見てくれているお客さんが誰なのか、地域に引っ越したことではっきりしたからなのだと思います。

そしてそれが明確になったのが、2019年2月。この月は私にとって大きな大きな出会いがありました。

それが隣町のおにいさんたち「ONE SLASH」との出会いです。

代表の清水さん(以下、ひろさん)と初めてお会いして、少しお話したのが2019年の2月。そして翌月には、こんな依頼をいただきました。

お会いするのが2回目にして7時間話し続けたわけですが、このときひろさんが持ちかけてくれたお話が、ひろさんを含めたチーム「ONE SLASH」のメンバーにインタビューすること。

ひろさんは、「地元の人口4,000人全員を雇用するために帰ってきた」という言葉だけで伝わってくるくらいに、覚悟がばちばちに決まっている人です。そういう人が「誰にでも簡単に頼むわけじゃない」と言いながら、私に依頼してくれたわけで。

そのとき正直に「やりきれるか、ちょっと怖いです」と言った私に対して、ひろさんが教えてくれたこと。それこそが、私のほぼ日の塾最終課題を一気通貫するテーマとなった「信じて、託す」ことでした。


「ひゃくちゃん(私)が100%のものを出せなかったとしても頼んだのは俺だから、それなら70%のものを出してくれればいい。あとの30%は俺たちが引き受けるから、そうやって一緒につくっていこう」


この言葉を聞いて初めて、ああ、私はずーっと「今この瞬間の自分の100%」しか信じられていなかったんだ、と気づいた。

やれる限りの70%をやって、あとは仲間や未来に残す選択をとるなんて考えたことがないくらいに、信じることが怖かったんだ、と知った。


── ほぼ日の塾最終課題の取材後記「だからまだ、言葉を手放したくないんだ」より

出会ったときから「彼らを取材したい!」と思っていたけれど、まさか本人から「取材してほしい」と言ってもらえるなんて。

生半可な気持ちではなく、私の時間を使うことへの強い覚悟も持った上で依頼してくださっていることを理解した私は、期待に応えきれるのか、自分は表現しきれるのか、最初は自信がなかった。

でも、同じタイミングで取り組んでいた文章教室「ほぼ日の塾」の最終課題で、2018年秋から何度かインタビューさせていただいた東京都奥多摩町のまちおこし団体「Ogouchi Banban Company」の記事を書いたことで、「私がやりたいことってこういうことだったんだな」とストンと心に落ちていったのです。

この記事(ほぼ日の塾最終課題)が世に出て、これを読んでくださる方々がいて、その後のOBCやOBCを応援されている方々のリアクションを見て。なんでこの記事を書くことに対して本気になれたのか、自分の中にあるものを言語化する中で。

ああ、私が地域に入って地域で心底やりたいことって、この記事のようなことなんだな、と見つけたように思います。

完全なる当事者ではないけれど、定期的に通ったり住んだりしながらその地域と地域で暮らすひとを知っていき、特に私が「表現したい」と思うひとを見つけて関係を築いていく。

そして外の目線だからこそ気づける、そこにある宝ものや特別な関係をすくいあげて光を当てて、コンテンツにして地域の外に伝える。

これは大学の頃に民族学の授業で学んだ「参与観察」の手法に似ている気がしていて、それには少なくとも私の場合、締め切りが必要だということも。

── 「ハンドルを切る理由を見失わない──2019年3月」 より

結果的には、Ogouchi Banban Companyを表現したから今住んでいる滋賀県長浜市でやりたいと思えることを見つけられて、ONE SLASHを表現する覚悟を決められたのだと思います。


じゃあ、ONE SLASHを私の目線で表現してみよう。

それも、一年をかけて。


この決断をしたのが、2019年4月頭。ONE SLASH代表のひろさんと出会ってから1ヶ月半経った頃のことでした。

一年をかけて表現すると決めた理由

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「一年をかけて、彼らを表現したい」

この決断に至ったのは、3つの理由があります。

1つ目の理由は、時間をかけてコンテンツをつくっていくことへの興味。

上記のようにONE SLASHのインタビューを引き受けるに際して、奥多摩のOgouchi Banban Company(OBC)を取材させていただいたことが大きく影響しています。

これまで地域の記事を書いたことはありましたが、OBCの取材に関しては完全にプライベートで続けていたので、結果的には一度だけでなく半年間で複数回インタビューをさせていただきました。

そうやって何度もお会いしていく中で、初対面じゃないからお話できることがあったり、彼らが住んでいる場所に何度も通ったから彼らの言っていることに少しだけ近づけたような気がしたりすることがたくさんあったのです。

私の仕事だと、通常のインタビューではインタビューさせてくださった方とその後も連絡をとったりお会いできたりするケースはほぼ皆無。

だからなおさら、取材かどうかに関係なくコンテンツを世に出した後もOBCのお二人と定期的にお会いできて、お二人の日常を見せていただけることがすごくぜいたくで、こうやってインタビュー対象の方と関係を築いていくことを大切にしたいと強く思うようになりました。

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裏を返せば、地域に根を張っている彼らの話していること、当たり前だと思っていること、日常、感覚、大切なもの、関係性、その他さまざまなものが、都心で生きてきて地元を持たない私にとっては新鮮で未知で。

そして地域には、当たり前だけれど彼らだけではなく、さまざまな考え方を持った方が一緒に暮らしています。

そういう私にとって「新鮮で未知」な「地域」そのもの、そこでつむがれる暮らしと人生をリスペクトしながら丁寧に大切に表現するためには、何度もお会いすることが私には必要だと思ったのです。

コンテンツの制作スピードも一緒に動くチームメンバーの変化もとにかく回転の速いWebメディアを主戦場にしているからこそ、ジブリやNHKのドキュメンタリーのように長くつくりこんで長く愛されるコンテンツ制作に惹かれている面もあります。体力とコストがかかるけれどね。


2つ目は、取材対象であるONE SLASHの活動の柱が、季節ごとに年4回のイベント開催と、田んぼでのお米づくりであること。

日々変化していく彼ら自身とその活動、そしてお米のことを追うには一年間が必要だ、とすんなり決められました。


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3つ目は、取材対象とする人が8人いること(この写真だと後ろに4人、前に4人います)。

同時8人取材は初めてだし、そもそも8人のうち関係を築けているのはスタート時点で2人だったので、まずはみんなと関係を積み重ねていくことから着手する必要がある。これも、一年をかける大きな理由になりました。

それぐらい、一人ひとりに物語があって考えていることがあって、すでに私にとってすごく大切なひとたちです。彼らだから、一年間を一緒に過ごしたいと思えたのだもの。

というわけで4月から彼らを追い始め、まずは地元でお祭り、そして主催のイベントがあり、5月からは本格的に田んぼがスタート。

6月にはまずは8人を一人ずつインタビューし、全員と2時間半以上話すターンが一周し終えたところです。

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やったことがないことだし、期限を設けたからこそ焦りもあって、自分が何をやろうとしているのかよくわからなくなるときも実際ある。

でも彼らを見ていると、心の底から「彼らを書きたい、撮りたい」と勝手に思えてくるんだから、ふしぎだよね。もう前に進むしかないんだなと思いながら、手探りでもがいている毎日。

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私が彼らに「なぜONE SLASHにいるのか」を問い続ける一年になるのと同じように、私が私自身に「なぜ取材対象がONE SLASHなのか」「なぜ彼らを表現するのか」を問い続ける一年になるのだと思います。

それだけ、新しいことを仕掛けて動き続けながらも自問する彼らと一緒に時間を過ごしていることで、気づくことや考えることがある。

それらが時が流れて失われてしまうことはもったいないので、気づいたことや思ったことなどを少しずつnoteやTwitterで発信していきます。

引っ越す前の都心にいた自分に手紙を書くような気持ちで、地域にいるから気づけたことを書いていこうかな。もうちょっとライトに、コンスタントに。たくさん撮りためている写真も添えて。

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この試みを、ぜひ見守っていただけたらうれしいです。

ONE SLASHのおにいさんたちときくちを、この一年間どうぞよろしくお願いします。

言葉をつむぐための時間をよいものにするために、もしくはすきなひとたちを応援するために使わせていただこうと思います!