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何歳になっても、「あのときが一番よかった」より「今も最高だね」って拍手したい

2019年、11月。

25歳になる私たちによる、私たちのための文化祭をやります。


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25歳になるまでに、中学高校の同級生で集まる機会をつくろう。それは2年以上にわたって、心の中で温めてきた。

「会いたい」と思う同級生の顔がたくさん浮かんでも、会っていない時間が流れれば流れるほど連絡を取りにくくなってしまう距離感。結婚した年上の友だちと話していて、これからの人生の選択によってさらに会えなくなりそうだと直感した焦り。

きれいにドレスアップしてホテルの会場で立食パーティーの同窓会にいると、それはそれでみんなすごく素敵な女性なのだけれど、数年前の汗と涙にまみれていたみんなのほうが美しく見えてしまう天邪鬼な自分。


じゃあ、なかなか会っていなかった同級生どうしが再会を喜べて、卒業してから今までの積もり積もった話をじっくりと語らえて、その場にいる一人ひとりが最高に輝ける空間をつくろう。

高校2年生のときにみんなと一緒につくりあげたあの文化祭を、25歳の今、もう一度。


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今思うと、中高一貫女子校だった母校において、高校2年生の秋に開催される文化祭は特異な存在だった。

演劇やミュージカル、演奏をステージで披露する部活も、普段の活動や研究の成果を展示でお客さんに伝える部活も、前年の文化祭を終えてからすぐに翌年の文化祭に向けた準備にとりかかる。

特に高校2年生は部活動を率いる幹部の学年に当たり、文化祭が終わったらそのまま部活を引退し、受験一辺倒へとシフトする。最後の最高の打ち上げ花火、それが高校2年生の文化祭だった。


文字どおり「文化祭のために生きている」高2は、後輩を率いながら文化祭の準備を進め、直前期にはとにかく自分たちのことで精一杯になり、文化祭のこと以外は全部忘れて本番に臨む。

一瞬に全身全霊を注いでいるからこそ、その刹那、一人ひとりの最高に輝いている姿が放たれる。

「このためにこの一年間生きてきたんだ」と実感する文化祭当日にしかない高揚、緊張、感動、そして心のどこかに漂う一抹の淋しさ、汗がだらだら流れていようと涙で顔がぐしゃぐしゃであろうと圧倒的な達成感に包まれているみんなが大好きだった。


そのために最高のステージを整えること。

それが、私が中学1年から高校2年まで続けた文化祭実行委員の仕事だった。高校2年生のときには50人の組織を率いる総責任者、文化祭実行委員長になった。

中学3年の時点で高2になったら委員長をやると決めたその日から、高2の文化祭に向かって走ってきた。

私にとって委員長を全うすることは、高2の文化祭を目指して生きている同輩たちの夢を(勝手に)引き受けることと同義だった。


私たちが高2になる直前、3月11日、東日本大震災。

春休み中に登校できなくなって秋の文化祭に向けた準備が滞り、4月に久しぶりに登校した学校は高2になった同級生たちの不安と心配で渦巻いていたことを覚えている。


文化祭の一大イベントである「後夜祭」には電気をたくさん使うから、今年は開催できないかもしれない。もともと狭い学校にパンパンにお客さんが入る文化祭は危ないから、入場制限を厳しくしようか。

なにより、文化祭そのものを中止にするかもしれない。

そんな議論が秘密裏に先生から持ちかけられていた。


そんなことになってしまったら、文化祭のために生きてきた同輩たちはどこで輝けばいいのだろう。みんなの夢は、どこで花咲くのだろう。

みんなが輝くステージを、私が守る。

勝手にそう決めて、みんなを不安にさせないためにこの話をクローズドにし、できるだけこれまでどおりに文化祭を開催できるように先生と交渉しながら委員会メンバーと話し合いを重ね、昼休みのたびに職員室に足を運んだ。


結局無事に文化祭を開催できることになったけれど、みんなの夢を引き受ける気持ちは変わらなかった。

私が倒れればすべてが崩れる。実際はそんなことないのだけれど、そんな勢いで、直前期に入るとあまり寝ずあまり食べず、ただひたすら、文化祭のことを考えていた。

そうして迎えた文化祭当日が終わった後、在校生だけで開催される後夜祭のフィナーレで私が選曲した『若者のすべて』が流れ、ステージに立ったときに見えた号泣するみんなが講堂中を埋め尽くしているその輝きの美しさは、人生最高の光景ベスト3には入ると思う。その瞬間が今でも脳裏から離れていない。


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本当のことを言うとね、この告知をずっとずっと書けなかった。

長いこと「書かねば」と思って、やりたいことだったはずが全部「やらねば」に切り替わってただの圧力になり、私の心は濃い灰色に染まって「やりたい」を飲み込んでいった。


でも、ようやくわかったよ。

ずっとやりたかったからこそ、本当にやりたいことだからこそ、書けなかったんだね。この濃い灰色は、かつて経験したことがあったことも。


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高2の文化祭が終わった直後、私の心は壊れた。

文化祭のためだけに生きていたから、終わった後の未来なんて考えたことがなくて、私の命はそこで終わりだと思っていた。死にたいとかそういう問題ではなく、人生が終わるのだと思っていた。

それなのに、文化祭が終わった後も私の人生は続いてしまった。実行委員の仕事があるからと朝早く学校に行ったはいいものの、倉庫にずっとこもっていたことを覚えている。みんなにこれまでどおり顔を合わせることなんて、今の自分にはできないと思っていたからだ。


なんで、文化祭でピークを迎えた私の人生は、文化祭の幕引きと同時に弾け飛んてくれなかったんだろう?

だってみんなは「文化祭実行委員長」だった私を支えてくれていて、一緒に駆け抜けてくれて、ずっと見守ってくれていたんでしょう?

その名前と生きるための大義名分を失った私は、高校2年生なのにちっとも勉強していなくて志望校も進路も決まっていない、ただの落ちこぼれ受験生でしかない。自分の存在意義を一ミリも見出せなかった。

結局、周りのみんなが文化祭を終えて部活を引退してすぐに受験モードに切り替える中で、私はこの故障を半年以上引きずった。その間、電話代が月2万円になって親に激怒されたけれど、そうでもしなければ故障から復帰できなかった私を他校の友人たちが支えてくれていた。


でもね、今ならわかるよ。

故障から復帰して、ようやく専念できるようになった受験勉強が楽しくなり、母校を巣立って大学に入学し、勉強しアルバイトをし、卒業して就職し、数々の出会いを経て今こうしてパソコンに向かっている。

そして「もう一度祭りをやりたい」と公言したら、「おもしろそう」そして「きくちがやるなら、一緒にやりたい」と久しぶりに連絡をくれるみんながいる(本当にありがとう)。

数えきれないほどの人たちにたくさんたくさん支えられながら、私の人生、あの文化祭の後から今日までちゃんと続いているんだよ。文化祭が終わったって、日常も縁も、つむいでいけるんだよ。

そんなのってさ、奇跡じゃん。

高校を卒業してみんなが悩みながら迷いながらそれぞれ決めてきた道があって、その道中で笑ったり泣いたりしながら人生を歩んでいて、一人ひとりが本当にたくさんの人に支えられながら25歳になるんだよ。

そんなの、とうとすぎない?


文化祭に命をかけていた17歳の私には、睡眠時間の短さも信じられないほどの体力も、注ぎ込む熱量もストイックさも、敵わないかもしれない。

でも、たくさんの人に何者でもない私を受け入れてもらえて生かされている日常のゆたかさと、日常を重ねていくことで続いていく人生のとうとさは、今の私のほうが知っているよ。

だって今なら、あのとき人生が終わらなくて、終えなくて、ほんっとうによかったねって、心から自分を祝福できるから。


この告知が書けなかったのは、本当にやりたいことだったはずの非日常を実現することで日常が絶望に変わる高2のときのあの恐怖を、無意識に思い出したからかもしれない。

でも、今なら言える。お祭りはね、非日常として日常から分断されたものじゃなくて、日常に色を添えるものなんだよ。祭りの終わりは、明日から動き出すまばゆい日常のはじまりなんだ。

だから、ステージに上がっていようがそうでなかろうがどっちでもよくて、日常の延長線上でこのお祭りに来てくれた今のあなたが、その瞬間を最高に楽しむ方法を選べばそれでいいんだよ。

会うことに、一緒に時間を過ごすことに、意味も目的もいらない。

いつだってどんなことだって、すべては自分が自分で選ぶことから、はじまるんだから。


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高2のときのあの文化祭のように、それぞれがそれぞれに合う方法で思いっきり輝ける空間を、25歳の私たちのためにつくる。

もちろん仕事や研究や今頑張っていることがあるから、当時ほど力を注ぎこめるわけじゃないと思うし、それでいい。

今の私たちだからできるステージをつくって、卒業してから今までそれぞれの道を歩いてきた私たちの再会と祭りから始まる未来に乾杯したいんだ。


このイベントの翌日から始まる日常をもっと愛せますように。明日へと一歩を踏み出す勇気が、ちょっとでも大きくなりますように。ここからうまれたきっかけが、それぞれの人生に接続していきますように。

今まで歩んできた道を想って自分を肯定し、これから歩み出す道のりで自分のことを思いっきり信じられますように。


そう願って、ここから当日と決めた日までの4ヶ月弱、たくさんの方に力をお借りしながら駆け抜けていきます。

25歳のみんなが、あの夜『若者のすべて』が流れた後に舞台の上から見えた17歳のみんなの何百倍も輝けるステージを実現するために。今の私たちが意志を持ってつくりあげる、最高の空間を目指して。


どうぞ、応援よろしくお願いいたします。

そして07のみんなに会えることを心の底から楽しみにしています!

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あとがきに代えて。

一番伝えたい人たちに伝わりやすいように「文化祭」の言葉を使ったけれど、今回は「フェス」にしたいなと思っている。

空間の楽しみ方がつくりたい空間の合っているような気がして、大人になったし「文化祭」じゃなくて「フェス」と呼んで準備を進めてきたのだけれど、この文章にある「フェス」の考え方がすごくマッチしていた。

文中に出てくる「バーニングマン」と「森、道、市場」はどちらもMTGの中で「こういうの良いよね」って紹介していたフェスだったからびっくりしたし、「フェスティバルウェルビーイング」を実現していきたいな。



てことで、いくぞー!

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