やばい人がやばい事を思いつくのではなく、普通の人がやばい事を思いつかないといけない

放送作家というとやばい人のイメージが強いと思います。

話を聞いてる限り、昔の放送作家はやばい人も多かったらしいですが、僕は本当にやばいなと思うような放送作家と会ったことはありません。

むしろ礼儀正しくて親切で優しい人の方が多いです。

つまり、

やばい事を思いつくためにやばい人になる必要はない

ということです。

この業界で生き残るにはガチでやばい人だと誰も仕事をお願いしたくないので、自然と消えていってしまいます。

本当はそういう人の方が面白い企画を思いつけるんだろうと思いますが、テレビマンといえども人間。自分とフィーリングが合う人と働きたいもので、

人としてある程度できている人が淘汰されていくのが放送作家の社会

です。

結局、放送作家は人としてまともな人が残る運命にありますが、だからといってやばい企画が出てこないかといえば、そうではありません。

普通の人たちから世間の度肝抜くような狂った企画が出てきたりします。(もちろん既に彼らは能力的に普通の人ではないですが、やばい人では決してありません)

「ガチでやばい人」よりも努力で狂った企画を考え抜いているのです。

努力でやばい企画を出すことができます。そこに才能はあまり関係ありません。

そこに意味があると思いますし、夢があると思います。


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