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市民研究者や社会実験家が作る「未知×探求」の10年へ。

これからの10年は、「解き明かされていないが、確かに存在するモノゴトに人が惹かれ、向き合う」時代になる。

数式に裏打ちされた合理性から、生態系や霊的なものへ。今は非科学的で証明が難しい「不可視で、複雑なものへの問い」に人が向き合い始めてる。解を出すことに長けたAIではなく、きっとCIやEI(僕の勝手な造語です。こちらをご参考に。)が研究対象になる。

ものづくり全盛期時代に象徴される「機能の獲得」の時代から、この10年は大きく移り変わった。それは、ストーリー・テリングによる「来歴と共感」型の時代とも言えるものだった。ブロックチェーンが台頭したのも、まさにその「確かな来歴を刻む」技術であった、とも言える。

しかし、僕はその「来歴と共感」の時代は、少しずつ薄らいでいるように感じている。では、次は?

それは「未知×探求」の時代、と言えるだろう。

利便性、効率、来歴、信頼なんて「証明的なもの」に人は飽きてきた。必要が無くなったのではなく、コモディティ化した(当たり前の、つまらないものになった)ということだ。

今までだって未知×探求だったよ、という人もいる。しかし実は、その探求の多くが”課題解決を目的にしたもの”で「うまく行ったら、こんな風にリターンがあります」みたいなものが中心だった。

これからは、課題解決にすら繋がるかは分からないが、とにかく「単純なる興味、関心」が社会をドライブする。
もっと「面白い仮説」「類を見ない実験」「何に活きるかわからない発見」が、人を動かすようになる。

「機能の獲得」の時代には、能力ある人が、
「来歴と共感」の時代には、良い人が中小にいた。

そして「未知×探求」の時代には
「無邪気な人」が中心となる。

メインプレーヤーが大企業からベンチャーに移ったこの10年の、そのまた次の10年。今以上に「個人がボトムアップで始める、有象無象のプロジェクト」が溢れ出す。きっと宗教色や政治色も強まるし、課題解決ではなく問い掛けが中心の(スペキュラティブな)アートや、眉唾なもの、荒唐無稽なものだらけになるだろう。

だからこそ。

これからは「そうした荒唐無稽な物事が、許される場」が求められる。その「場」とは、空間という意味だけではなく、途方もない仮説や哲学や逡巡を許してくれる「関係性」のこと。

お金や時間などのリソースも行き場が定まらずダブついたままだろう。今の企業の内部留保や投資資金余りは、まさに「使い方が分からない」ために起きていることだ。
荒唐無稽なものは、今までのリターンや採算性のロジックでは評価ができないから、お金がついてくるには、新しい価値評価のフレームワークの構築が必要になる。オジサン達がそれに気付き始める5年後くらいにようやく、もっと個人の研究や途方もない実験の世界に、大きなお金や人が動き始めるんだろう。

つまり、今は過渡期だ。

「市民研究者の時代」「社会実験家の時代」の黎明期、とでも呼ぶべきかな。ただ「面白そう」や「真理を追求したい」という純粋な動機に張れる人や組織だけが、新しい動きを作り始める。これは確信に近い。

楽しみで仕方がない。

僕も(小さいときから)抱いてきた生物、生態系、資源や食料に関心を振り切り、新しい実験を始めている。

さて…。みなさんは無邪気に何を、探求するのだろうか。楽しみで仕方がないね。

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