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僕がまた創業して、田舎に向かう理由。

突然だが、僕はこの6月に「いきものカンパニー(いきものCo.)」、8月に「たべものカンパニー(たべものCo.)」の二社を、相次いで創業した。まだステルス/非公開だけど。

その直前の5月、それなりに大きくなったサービス(SENDという。ご存知ない方は"SEND 菊池"でググって頂ければ、たぶん沢山出ます)を次世代に任せ、なぜ次に進もうとしているのか、その理由を書くことにする。

まず。僕は、自分が感じてきた怒りや理不尽さ、社会が感じているであろう、"言葉にならない違和感や危機感"を、そのままにしておけない性質だ。自分なりに可視化や言語化し、抗う(良く言えば、解決する。悪く言えば、戦う。)ことを考えてしまう。

SENDも、もともと母親の実家が中山間地の農家で、衰退著しい田舎や農業の力になりたくて始めたサービスだ。

他でもない、完全に「自分ごと」として。

コンセプトには共感してくれる人もいるだろうが、当事者でない限り、投資家であれスタッフであれ、同じ温度(課題意識)にはなりにくいテーマだ、と初めから覚悟していた。

SENDの事業内容は生産物の流通プラットフォームだ。中間コストを最小化し、生産者価格を最大化するために、需要を予測してロスやタイムラグを削ったり、配送物流を自社で構築したり、かなり高度なことをやっている。
また、届け先を首都圏の個店レストランなど(一見、非効率で、大手卸がやりたがらない顧客)に特化することで、仕入に困っていたシェフ需要を束ねて、密集ドミナントを築き、物流効率を上げる、という荒業をやっていた。

幾つもの条件を同時にクリアしていかなければ成り立たないムズカシイ(農業にも物流にもテクノロジーにも深い理解が必要な)事業モデルだ。これもある意味、既存流通システムへの怒りや違和感を、僕なりにどう解くかという挑戦だった。

幸い一定のカタチにはなり、リリース後3年半ちょいで、7500軒ものレストランを抱えるサービスとなった。

すると今度は「会社として、どう資本市場と向き合っていくのか」、「投資家にとって望む姿や収益がどうあるべきか」、「社内の体制や手続きがどうあるべきか」が主眼となり始めたことが、僕の転機だった。

おいおい、まだ何も、
始まってすらいないだろう、と。

農協の出荷額ベースで8兆円近く、ポテンシャルではその1.5倍はあるであろう農業全体に対してはもちろん、SENDに出荷している生産者の所得に占める割合だって、まだまだごく一部。

単価をより高く、より良い作り手と使い手を繋げている自負はあった。でもそれで生産者が辞めるのを止められて、かつ跡継ぎをしっかり増やせるほどのインパクトはまだなかった。もちろん成功事例も多々あったが、このモデルでは「産地活性化に貢献(牽引)している」と胸を張るには、かなり時間がかかる(産地の衰退のペースの方が速い)ことにも気が付いていた。

つまり、目的やビジョンと、手段(のペース)が合わなくなっていた。生産者が減るペースがSENDのインパクトより速ければ、僕ら自身もいつか止まってしまう。すぐに新しいアプローチや実験が必要だ、と全員が思うほどに、危機感を持たなければいけない話だ。

にもかかわらず、だ。

下らない揚げ足取りや、子供じみた内輪の話に莫大な時間を取られていた。
畑にも行けず、東京のオフィスで。

この4月、5期目の定時株主総会が終わった時、僕は退任を心に決めていた(トリガーは僕個人の事情だったけど)。

かなり前から、産地の衰退を止めるにはSENDやFarmpayだけではない、全く違うアプローチが"幾つか"必要なことには気付いていた。その必要性は社内はもちろん、外部メディアを通じても、事あるごとに発信していた。

ただ、その発信は「産地や生産者を見ずに、SENDと会社と自分を見ている人達には届かない」ことも分かっていた。

反対に、それだけSENDや会社だけを見てくれて、期待してくれる人も沢山いるというハッピーな状況でもあるのだから、僕はゼロからまた次の仕組みを作りに行く方が良いなぁ、とかなり前から考え始めてはいたのだ(今思うと、だが)。

ちなみに、自(we)画自(we)賛では決してないが、SENDはそのモデルや思想を貫く限り、稀有なサービスだ。生産者やシェフの双方から愛され、重宝されているし、まだまだ伸びる。どこぞのCtoCや直売所の劣化版とは違って、完全にオリジナルの、新しい社会インフラになれる可能性もある。

それでもなお、「産地の衰退ペースの方が遥かに速い」方が、僕にとっては重要な課題だ。言うまでもない。

母の田舎は、あと20年後には消滅自治体になるというシミュレーションがあるそうだが、僕の肌感覚ではもっと早く機能不全になる。では、何をすれば良いのか。

農畜水産業の支援もまだまだ足りないのだが、そもそも農林水産業の支援→所得の向上→人の増加、というロングショットなアプローチをしているだけでは間に合わないのだ。

もっと直接的に。農林漁業に関わらず、人が地域に行きたくなる(行ける)、暮らしたくなる(暮らしていける)から、デザインし直す。

こんなことを掲げると、よくある地域活性化団体みたいなスローガンみたいだが。。

否定的な人からは、そもそも何で田舎に住まなきゃいけないんだ、田舎に人がいなくなっても良いじゃないか。都市に人が住むだけの方が効率が良いじゃないか。という指摘が飛んでくる。

一方で、農畜水産業や林業は必要で、誰かがやらなければならないじゃないか。人が関わることでの里山保全や治水も必要じゃないか。補助金出してでも人を田舎に誘致すべき、みたいな主張もある。

終いには、田舎にまずは来てもらい、体験してもらって関係人口を増やすところから地道にやって行けば、きっと移住者も増えるハズ…(その先の戦略も戦術もあやふや)なんて悠長なことを自治体やコンサルタントが言い出す始末。

どれも「正しい」けど、どれも足りない。

田舎に行きたい(居たい)、きっかけがあれば暮らしたいと思っている人は、本当は沢山いる。憧れ、愛着、期待かも知れないし、使命感や危機感かも知れないし、あるいは目的があるかも知れない。ターゲットは、この「意思(意志)」ある人達のみ。この人達をどう増やし、どう早く動けるようにするか。

僕も同じ。農畜水産業"だけ"を支えたかったわけじゃない。

僕が好きで、大切にしたいと思っている田舎は、そこで住むことを幸せと感じていた人達と、その暮らしそのものだ。跡を継いでくれと言われた時に、農業者になることだけを考えたわけではない。ここで暮らすことに憧れ、使命感もあり、どうすれば成り立つかを考えてきたはずだった。

農業や畜産業や林業や漁業は、その土地や資源と人が関わる「仕組み、技術」の一つ。同時に、数ある交換(収入)手段の一つに過ぎない。だから、地域の衰退の原因を、主に農林漁業の低収入や高い労働負荷とだけ定めて取り組んでも、地域にすぐ人が来て定着するようにはならないのだ。

町や村、地域ごとデザインし直す。

田舎に望んで行く人、長らく定住してきた人にあって、そうでない人たちにはない原点(無意識に近い動機、人ね志向や行動)が見えてきたから。

人が望んで地域に入り、農林漁業に限らず、土地や資源と関わり続けたくなる仕組み作り。

これが、僕の次のテーマ。冒頭に、

突然だが、僕はこの6月に「いきものカンパニー(いきものCo.)」、8月に「たべものカンパニー(たべものCo.)」の二社を、相次いで創業した。

と書いた。少し補足すると、

いきものCo.は、
「いきものと生きる、ひと。」

たべものCo.は、
「たべものを、社会の真ん中に。」

を掲げている。

この情報だけで、何をやるのか(やりそうか、どっちに進みそうか)がピンと来た方は、きっと僕と似た景色を見ているはず。

小難しい書きぶりで進んできたけど、

「やらなきゃ」から「やりたいな」と思えたから、また始めたこと。

早ければ今月、来月と新サービスをこっそり、リリースする予定なのだけど、ご関心頂ける方はぜひお話させていただきたいし、また新しい挑戦をご一緒させていただきたい。

お楽しみに。
ご連絡や話しかけも、こちら↓からお気軽に。

シンキクチ@たべもの&いきもの。 (@Shin_Kikuchi)
https://twitter.com/Shin_Kikuchi?s=09

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