乃木坂26th「僕は僕を好きになる」について

初解禁、フル解禁、MV公開、配信リリース、本リリースに合わせて乃木坂46の最新曲『僕は僕を好きになる』の分析を重ねてきましたが、聴けば聴くほどやっぱり駄作だと思いました。
(そんな自分も嫌いになりますね。どこかの歌詞?)
もう新たなコンテンツはないと思った矢先。アニメver.が公開されました。
流石にこれで最後だと思うので分析記事を書き直してみました。
決してこの曲が好きな人を否定するつもりはなく(実際私もそんなに嫌いではないです)、乃木坂が好きなゆえにこの曲を一生懸命好きになろうと考え分析した結果、曲の出来が悪いという結論に至ったという点だけはご理解ください。

別ver.公開から見える意図

まず最初に。
アニメver.、映像としてはなかなかいいです。ちょうどフロント(センターも)が某作品のキャストなので親しみやすい。どうしても歌詞とかみ合わない箇所もありますが(それは歌詞の責任なのでここではパス)見ていてホッコリしました。ただしこれはあくまでMV。一つの解釈です。
過去にも同じ曲を扱った様々な種類のMVを発表したアーティストさんはたくさんいます。
「アーティストだから。色々な解釈ができる作品なんです」
「新たな試みを許容しないのか」
と反論されればそれまでですが。

はっきり言いますが「曲に自信がないから」だと思います。
作品に自信があればMVは一つで済んでいます(よね?)。
生田さんに歌詞を朗読させた時と手口が一緒で、他の解釈で話題を作って曲のクオリティの低さを棚上げにした「逃げ」ですね。

それでは本題。

この曲の最大の弱点は3つです。
「単純にメロディが弱い」
「歌詞を詰め込みすぎていて口ずさめない歌になっている」
「歌詞が一方的な説教になっている」

単純にメロディが弱い

同じ杉山勝彦さん作曲の「君の名は希望」「サヨナラの意味」「きっかけ」や「何度目の青空か?」「今、話したい誰かがいる」などが乃木坂の楽曲の中で特に愛されているのはなぜでしょうか。
メロディが良いからです。
歌詞ももちろん良いのですが、どんな歌詞でも良いメロディに乗せられなければ「名曲」とは評価されません。
例として「君の名は希望」のサビの「こんなに」は僅か4文字、4音ながら見事に聴き手の心を掴む一節です。きちんとメロディが歌詞を運んでいるからです。
「僕は僕を好きになる」は杉山さんっぽさ溢れる曲なのは分かりますが、その事実は免罪符にはなりません。歌詞に相当重きを置いたことも災いして、聴いている時の爽快感(人はそれを共感したことだと思うのでしょうか)がまるでありません。要するにメロディが弱いんです。

歌詞を詰め込みすぎていて口ずさめない歌になっている

これに異議を唱える方はいないと思います。
「いや、口ずさむよ」という方は単に聴きすぎです(私もです)。
「歌詞がいいから」というのは褒め言葉ではなく、曲やアレンジが悪い場合の言い訳であって(曲がいいなら普通に「いい曲だ」と言われますからね)加点になっても不合格を合格にするほどのものではありません。

歌詞が一方的な説教になっている

この曲の根幹にあるのは語り手『僕』の心構えの変化です。
ここで変わる前と後の『僕』を整理します(括弧内は私の補足です)。

嫌いな人と理由を数人しか思い出せない→嫌いな理由がつまらない
友達なんかいらないと思ってた→(友達はやっぱり必要)
(世界に背中を向けていた)→世界が狭くなるから背を向けない方がいい
(生きにくいのは他人のせいだ)→生きにくくしているのは自分だ
居心地の悪い視線を気にしていた→気にしないでいい
(周りが悪いから受け入れたくない)→今の場所を受け入れればいい
(他人が嫌いだ)→そんなに嫌な人はいない、一番嫌いなのは自分
胸の痛みや叫びがあった→書き出したら陳腐な言葉の羅列
(死にたいと思うこともあった)→死にたい理由は些細なものだった
(泣きたいのに)慰められない→泣きたい時は我慢せずに泣けばいい、涙は乾くから大丈夫
(強がっていた)→強がりは余計な荷物
輪の中に入ろうとしなかった→意地のせいだと気づいた
(毎日が嫌だと思っていた)→冷静になればそんなに嫌な日々ではなかった
傷つきたくなくてバリアを張っていた→と気づいた
辛いことは心に閉じ込めていた→ノートの上に書いたら大したことはない
(近くばかり見て人生を送っていた)→人生を一歩引いて見るようになった
そして最後に。
(他人が嫌い→一番嫌いなのは自分)→自分を好きになる

こう見るととにかく説教臭い曲ですよね。
歌詞も詩も聴き手や読み手の想像力があって初めて成り立つものです。
どこかで「共感」してもらおうと良さげなアドバイスをこれでもかと散りばめているのは大いに結構ですが、この楽曲には聴き手に考えさせる気は一切なく、一つの主観を様々な言葉を尽くして押しつけているだけです。
楽曲の世界を深める情景描写や比喩などの舞台装置もありません。
ひたすらにこう変わるべきだと提示し、how to本もしくは宗教の勧誘になっています。アイドルポップス的には聴き手はアメちゃんもらって置き去りです。
これこそ「陳腐な言葉の羅列」なのではないのでしょうか。

最後に、これは作り手の責任ではありませんがこの曲を絶賛するファンに対して私が勝手に抱いた感想、ぼやきです。

駄作だと認めたくない聴き手

まさか乃木坂から、まさかあの杉山さんから駄作だなんて絶対にない。
白石さんもいなくなったしこれからが踏ん張りどころなのに。
こんなに深い、共感できる歌詞じゃないか。ほらやっぱり良い曲じゃん。
ファンはどこかで強がっている様に思えます。
申し上げましょう。
それは共感ではなく「共感しろ」と差し出されたものに何の疑問も抱かず食いつき誤解することです。
一流ワインと言われて飲んだものが実はコンビニのワインでも「美味しい」と言わざるを得ない、みたいな。
秋元さんの言葉を借りれば、強がりは余計な荷物です。
楽曲そのものを直視して欲しいです。

以上、『僕は僕を好きになる』についてでした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?