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「呪い」か「魔法」か。



前の記事で紹介した、辻村深月さんの「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ」という作品。
読み直そうと思ったきっかけはZOCというアイドルの「family name」という曲を聴いたからです。

ZOC「family name」MV
https://youtu.be/IytBgF3UhP0


歌詞の中には
「ワケ分かんないことでママが怒ってる」
「同じ呪いでだからって光を諦めないよ」
「察して全部伝わらないよもどかしい矛盾してない」
などがあります。

私はこの曲を「母と娘」の歌だな、と思いました。(いろんな解釈をされてる人がいると思うので、あくまでもこれは私の解釈です。)


曲の中で、可愛いアイドルの子たちが「クッソ生きてやる」と叫びます。

それはきっと、そう叫ぶ以上の方法がないからなのかもしれない。
曲である以上言葉が限られていて、仕方ないのかもしれない。

でも、本当は、もっと伝えたい感情があるんじゃないか、と曲を聞けば聞くほど思ってしまって。
私はおぼろげな記憶を頼りに、「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」という物語の中に、その感情を表現する言葉を探し、読み返したのでした。


そこで私が得たのは、「同じ呪い」というのは単純に「ファミリーネームが同じ」ということではないと思う、という結果でした。
「娘」である自分の「母」は、誰かにとって必ず「娘」だということ。
「同じ呪い」というこは「母」とまた「娘」であるということではないかと思います。

だってファミリーネームなら、結婚したら変えられますから。

ただ、母から娘へ、継がれていくもの。
自分がかけられた呪いを、母になった時に娘かけてしまうのでは、という不安。
それは自分が「光を諦めない」ことで払拭していくしかないのだと、思います。


そして、実は私、この曲の二番が聞いていて、とても辛いんです…
二番以降では、家を飛び出した娘が母以外に承認されようとして、がむしゃらに、無茶苦茶になっているように見えて…

彼女たちが最後、朝日の元で笑っているのは、ここがたどり着けた私の居場所なのだ、ということなのでしょうか。

自分が強く健やかに生きること。それは一番大事です。間違いなく。
誰か、それが家族であろうと、不当に傷つけられているなんて、許せる状態ではありません。


でも、治安の悪いままバグったまま、正論も正義も邪魔にしたまま、生きていくのはきっと辛い。
だってそうじゃない方が生きやすいように世間というものはなっているから。


私がこの曲の二番を辛いと感じるのは、私が正論と正義を邪魔だと思わないからかもしれません。
それだったら、私はこの曲について黙っておいた方が良かったのかもしれないです。


でも「クッソ生きてやる」っていう強いフレーズに惹かれて、「同じ呪い」に共感を覚えた人へ、この曲は「family name」から逃げようとした時に伴う痛みも描いてる曲なんじゃないか。
そう感じたことを表現したくて、この文章を書きました。

ちなみに、私は母親から逃げたいと思ったことはないです。
傷つけられた記憶もありません。
でも「家族」というものについては、色々あったので逃げたいと思ったこともあります。
10代の後半を「家族」に振り回された過去もあります。
でも、私はもう、逃げる体力もありません。
正論と正義に流される方がラクなことを知った20代後半です。

まとめちゃうと、10代は捨てる前に気づいたら過ぎてる可能性が高いし、逃げるのには体力がいる。
クッソ生きてやるって言うくらいの強さと覚悟がないと、やってけないんじゃないかって、ね。
でも、いつからでも遅くないので、強さと覚悟を身につけられるなら、自分の好きなようにブチかましてもいいんじゃないでしょうか。


お前はもっとできると、教えてください。