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短い夏休みに入ったことについて

「チョコレート、食べますか?」
◯◯さんに、チョコレートの袋の口を向ける。その手は震えていた。


「あーいらない。お昼ご飯食べ過ぎたみたいで、今食べたら吐きそうだから」


あ。あははは。そうですかー。


誤魔化すように、チョコレートの袋に手を入れて一粒つまみあげて、口に入れる。
ねっとりとした甘さが、喉にへばりついてから気づいた。
私も別に今、チョコレートを食べたいわけじゃなかった。


コップのフチまで注がれた水が、その一言で揺らされて、溢れた。


◯◯さんは一言多い人だ。
いつも何かにイライラしている人。
貧乏ゆすりをする人。
ボールペンを、時には分厚いファイルも、机に投げるように置く人。
パソコンに向かいタイプミスをしては、舌打ちをして悪態を吐く人。
バイトの大学生がいない時、平気で「あの子らバカだから」と言う人。


「実は、あなたの前任者も、その前の人もね…ほかに理由があったんだけど…◯◯さんと、ちょっと仕事できないって話もあって、辞めててね…」
言葉を選びながら上司がそう言った時。
「あ、あは、ははは」
私は、笑った。
ほかにどう反応するのが正解だったのか、今でも分からない。


「本当に、私ホッとしたんです。こう…なんというか……何かあっても、無視というか、全く話さない、みたいなことにはならないタイプの人だなって思ったので……」
大学生のバイトが、先輩が有給でいない時、こっそりとそう話してくれた。
私はこの時も、わざとらしく笑った。


なるほど、私は◯◯さんの『ちょっと過激な癖』に対応する力が求められていたらしかった。

確かに、私が元気だったら、スルーできたかもしれない。
実際、3ヶ月ほどは、私は◯◯さんとそれなりにうまくやっていた。
絶句してしまうような発言もあったけれど、それは母親や友人達に愚痴り、ネタとして消費していた。
(noteでも「地獄のブス」発言はネタにした)


しかし、スルーすることはどんどんできなくなっていく。
今日も◯◯さんはイライラしてるのかな、と考えて出勤するようになってから、私の体調は一気に崩れた。
朝の準備にとんでもなく時間がかかるようになり、出勤をしても会社のトイレに駆け込んで吐いた。

心臓がばくばくする。
文字が読めない。
肩がこる。

コピー機が紙詰まりを起こす度、私は謝るようになっていた。

朝、顔を合わせ、「おはようございます」を言う瞬間、相手の顔色と声のトーンから、その日の機嫌を気にする。
一年前に辞めた会社でしていたことと、同じことをしていた。


◯◯さんに、パワハラをしている意図はない。
ボールペンを投げるように置くのも、貧乏ゆすりも舌打ちも、癖だ。
細かいファックスの処理も全部自分でやろうとしているのは、他人に頼ることに慣れていない人だからだ。

◯◯さんを変えるのはめんどくさい。
だから私が変わればいい。
世の中には一定数、そう言うタイプの人間がいる。
前のパワハラ先輩よりよほどマシだし、一度それでやられた私は、次はタダでは起きない。

会社での対人関係の本を読み。
思いつく限りの人に相談をし。
毎日あんなに怒ってて疲れないのだろうか、と思いながら、一緒に仕事をし続けた。


チョコレートも、策の1つだった。


しかし、◯◯さんの一言はあっさりと。
余計な一言のトゲは抜けにくく。


私は限界を迎えた。


涙をこらえて家に帰り、泣き喚いた。
自分なりに一生懸命努力した。
けして気持ちがいいとは言えない態度をされても、私も同じような態度で返さないようにした。

それなのに、どうして!!

自分ばかりがしんどい思いをしているのか!
◯◯さんはどうして、自分の態度が他人を萎縮させるものだと気がつかないのか!
気づいててやっているのか!
私が何をしたと言うんだ!
自分の感情くらい、自分で面倒を見ろ!

泣きわめいて疲れると、薬を飲むのも忘れて眠った。
次の日の朝、私は仕事を休んだ。


◯◯さんの異動が決まった。
上司曰く、◯◯さんには欠員の出る部署に異動してもらい、新任の人と私と、二人でこの部署の事務を頼む、と。
いなくなることにホッとした。
それと同時に、その異動が「厄介払い」ではなく「◯◯さんの希望にも沿った形」だったことに脱力した。
◯◯さんの異動は「◯◯さんがかねてから興味があると言っていた部署」に出た欠員を補うためのものだった。
新しい部署では、さすがに態度を改めるだろう、と上司は言っていたが、私はそんなことは無いと思う。

だって「癖」なんでしょう?

◯◯さんの後任が決まり、指導が開始された。
私に対する引き継ぎは、もう特にないと言われている。
後任の指導は◯◯さんが一人で行なっている。
◯◯さんは後任の指導状況を、私と共有しようとは言わない。
私の方からも、そんな声かけをするのに疲れてしまった。


私がいる価値はない。
出勤前に号泣、勤務中はトイレで何度も零した涙を誤魔化して、退勤直後に駅のベンチにへたり込んで泣いた。


季節のせいか。
◯◯さんの言動か。
自分の認知が歪んでいるのか。
前職のパワハラ会社のトラウマのせいか。
昨年の豪雨災害を想起させるような雨の振り方のせいか。


原因らしきものはたくさんあった。
でも一概にどれが悪い、と考えられない状況になった。


病気を診断されて、まだ2年弱。
経験値が足りない。
このままではやばいことは分かるのだが、どうすればいいか分からない。


結局、答えは家族で相談をして出した。
仕事を1週間休む。
上司は案外すんなり受け入れてくれた。


家族と上司には感謝の言葉を使った。
でも、私の中に燻っている「なんで」には、どんな感情を乗せればいいのか分からない。

私は短い夏休みに入る。
病気の根っこは深く、トリガーはたくさんあった。
1週間ではきっとどうしようもできない。
私と病気との付き合いはまだまだ続く。

お前はもっとできると、教えてください。