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スターウォーズのドラマが・・・

スターウォーズのスピンオフドラマ「マンダロリアン」が、なんとも悲しいというか、つまらないというか、途中から、冷めた気持ちになってしまったので、ここに書き綴っておこうと思います。

さて、このドラマですが、スピンオフというだけあって、元々は、映画本編とは絡まず、あくまで、賞金稼ぎのマンダロリアンが主人公の物語でした。

簡単なあらすじを述べると、ひょんな事から、幼な子の「グローグ」を保護する事になった賞金稼ぎが、共に旅をして行く中で、互いの絆を深めていくという、銀河版「子連れ狼」のドラマです。

実際、製作陣も「子連れ狼」からインスピレーションを受けたと語っています。

賞金稼ぎという事で、アンダーグラウンドな世界を中心としつつ、物語の世界観が広がっていく素晴らしい作品でした。

ところが、中盤くらいから、映画本編に絡むような展開になって来たのです。

それもジョージ・ルーカスのスターウォーズではなく、ディズニー版スターウォーズ(7・8・9)に絡む内容にです。

そこで一気に冷めてしまいました。

ジョージのエピソード6とディズニーのエピソード7の間を埋める為の装置と化していったのです。

整合生を取る為の装置に成り果て、マンダロリアンが、ほとんど出て来ない話まで作られました。

更に「マンダロリアン」の続編として作られた「ボバ・フェット」という作品では、CGで作成された、若かりしルーク・スカイウォーカーが、頓珍漢な事を語り始める始末。

そのシーンとは、ジェダイの修行をする事になったグローグに対し、ルークが、二つのモノを提示するシーンです。

ここでルークは言います。

「どちらかを選びなさい。」と・・・。

一つは、マンダロリアンからのプレゼント。

もう一つは、ライトセーバー(ジェダイの武器)。

その結果、グローグは、マンダロリアンからのプレゼントを選びます。

するとルークは、こう言ったのです。

「では、君をジェダイにする事は出来ない。」

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ジェダイには、様々な掟が有りました。

その中に、結婚や恋愛は禁止というモノがあります。

特定の人物への執着が、人の心を弱くし、挙げ句の果てには、暗黒面に落ちる可能性があるからだ・・・というのが、ジェダイの主張です。

これを真っ向から否定した人物がいます。

その人の名は、ルーク・スカイウォーカー。

私情を切り捨て、大義の為、正義の為に、父親(ダースベイダー)を殺せと言ってきた、ヨーダやオビワンといったジェダイたちに、ルークは言いました。

「父さんを殺す事なんて出来ない。父さんには、善の心が残っている。僕は、父さんを説得する。」

執着です。

そんなルークに、ヨーダは言います。

「皇帝とベイダーを倒した(父親を殺した)時、おまえはジェダイとなる。」

ルークは、それを無視して説得に向かいます。

ここで面白い展開が起こります。

ジェダイとは相反する立場にある、シスという存在の皇帝が、ルークに、こう囁くのです。

「憎しみの心で、父親を殺せ。そして、私の弟子になれ。」

皇帝は、年老いたベイダーを見限り、若くて優秀なルークを新しい弟子にしようと目論んでいたのです。

しかしルークは言います。

「僕は、戦いに来たんじゃない。」

するとここで、更に面白い展開が起こります。

ベイダーが、必死に戦おうとしてくるのです。

何度も挑発して来ます。

それでも聞く耳を持たないルーク。

逃げ隠れしつつ、父親に説得を試みます。

そんな時、ベイダーから、ある言葉が出て来ました。

「おまえが暗黒面に来ないのなら、妹を引きずり込もう。」

それを聞いた瞬間、ルークは「やめろぉぉ!」と叫びながら、剣を抜きます。

ついに親子の戦いが始まったのです。

このシーンは、とっても重要なシーンです。

ルークは、ジェダイの言う「私情を捨て大義に生きる」為でもなく、シスの皇帝が言う「憎しみ」でもなく、妹を守らなければ!という想いで、戦いを始めたのです。

そして戦いの末、ルークは、ベイダーの右手を斬り落とします。

そこに現れたのは、機械の腕でした。

ベイダーの右腕は、機械で出来ていたのです。

それを見た瞬間、ルークは、我に返ります。

そして自分の右手と、今、斬り落としたベイダーの右腕を交互に眺め始めます。

ルークもまた、前作「帝国の逆襲」で、ベイダーによって、右手を斬り落とされています。

このシーンは、それを思い出しているシーンなのですが、それと同時に、ルークが、ある事に気づいてしまったというシーンでもあります。

その、ある事とは、何か?

それは、父の想いです。

ここで、ベイダーの立場になって考えてみてください。

皇帝は、父親を殺せと言いました。

ベイダーからすれば、死ねと言われたも同然です。

普通に考えたら、死ぬのは嫌です。

もしもルークが赤の他人なら、ベイダーは、情け容赦なく、ルークを殺し、自分はまだ活躍出来るとアピールしていた事でしょう。

しかし、それは出来ない。

息子だから・・・。

皇帝も、それを見越しての発言でしょう。

そしてベイダーが取った選択は、戦いに持ち込み、ルークに殺されるというモノでした。

自分が死ぬ事で、息子を生かそうとしたわけです。

このシーンについて、こんな書き込みが有りました。

「一年ちょっとしか修行していないルークが、ベイダーに勝つわけないだろ! 設定がブレ過ぎている。」

ベイダーが、本気で戦っていると思ったんでしょうね。

いつの日か、この記事を読んでもらいたいです。

さて、ベイダーの目論見は、成功するかに思えました。

しかし、あと少しのところで、ルークが気づいてしまいました。

ルークは、剣を放り投げ「父さんとは戦わない。」と宣言します。

そして皇帝に向かって、こう言いました。

「僕はジェダイだ。かつて父さんが、そうだったように・・・。」

この日本語訳が、いけない。

英語の台詞だと、下記のようになります。

「I‘m a Jedi like my father before me.」

「僕は、父さんのようなジェダイだ。」と言っているのです。

ヨーダのようなジェダイでもなく、オビワンのようなジェダイでもない。

そして「before」が意味するモノは、何か。

父が、かつてジェダイだった事を言っているのではありません。

自分の行為(殺さないという選択)は、前作「帝国の逆襲」で、父が選択した事と同じなのだ、と言っているわけです。

皇帝に向かって言う台詞ですが、横たわるベイダーに対しても発せられている事は、明々白々です。

父さんの想いは、ちゃんと届いたよ。

そう言っているわけです。

それを聞いた皇帝は、ルークに、こう返します。

「そうか・・・。ならば死ね。」

そして、手から破壊光線を繰り出します。

ルークも、まさか年老いた皇帝から、破壊光線が飛び出てくるとは思っていなかったのでしょう。

直撃を受け、もがき苦しみます。

そして、喘ぎながら、父に助けを求めます。

「父さん! 助けて! 父さん!」

この台詞が意味するモノ。

上述の流れを理解していないと、受け止め方が変わってきます。

右手を斬り落とした事で、本来の目的を思い出しただけのルークであったなら「助けて」という台詞は、もしかしたら、父さんが助けてくれるかもしれない、という淡い期待となってしまいます。

しかし、このシーンは、そういう事ではありません。

父の想いを受け止めたルークですから、確信を持って言っているのです。

自分を生かそうと、命を投げ捨てた父が、助けないはずがないと・・・。

その想いに応えるかのように、ベイダーが立ち上がります。

そして、皇帝を担ぎ上げ、奈落の底へと投げ落としたのでした。

ついに皇帝を倒したのです。

この物語をもって、ジョージのスターウォーズは完結となりました。

では、何をもって完結となったのでしょう?

皇帝を倒したから?

いいえ、違います。

フォースにバランスがもたらされたからです。

フォースとは、万物に流れる力の源と言われています。

そして、それには光と闇があると考えられていました。

東洋哲学で言う、陰陽の事です。

光に固執し、行き過ぎた人たちが、ジェダイです。

闇に固執し、行き過ぎた人たちが、シスです。

しかし、ベイダーは、そのどちらでもない選択をしました。

ジェダイとして、正義の為に皇帝を倒したのではありません。

シスとして、長年の恨みを込めて倒したのでもありません。

ただただ、息子を救わんとして、立ち上がったのです。

皇帝を倒したあとの親子は、もうジェダイでも、シスでもない存在になっていました。

ヨーダの言葉を借りれば、ルークはジェダイにはなれませんでした。

私情を捨て、大義に生きなかったからです。

皇帝の言葉を借りれば、ルークはシスにもなりませんでした。

憎しみの心で、父親を殺害しなかったからです。

フォースにバランスがもたらされたのです。

初めて観た時、私は感動の渦に巻き込まれました。

正義は必ず勝つという、アメリカ的な終わり方ではなかったからです。

アメリカ資本による、アメリカ人監督による、純粋なアメリカ映画の結末が、東洋哲学だったのです。

善と悪、光と闇、陰と陽は、互いに相反するモノではなく、密接に重なり合うモノで、どちらに傾いてもいけない。

中庸こそが大切なのだと・・・。

そして、それを成すのに必要なモノは、愛。

東洋哲学の言葉に言い換えれば「仁」であると宣言したのです。

銀河を舞台に、宇宙船が飛び交う中、語られるのは東洋哲学。

心の底から衝撃を受けました。

このシーンについて、こんな書き込みが有りました。

「ラスボスの皇帝を倒すシーンが、ショボすぎる。持ち上げて落とすだけって・・・。何のカタルシスもない。」

このシーンで、カタルシスが無かったなんて、本当にもったいない。

いつの日か、この記事を読んでもらいたいです。

さて、長々とエピソード6のラストバトルを語りましたが、なぜここまで細かく書いたのかと言うと、ドラマ版のルークが頓珍漢である事を、しっかりと理解してもらう為です。

こんな経験をした人物が、上記のような台詞を言うはずがないのです。

このルークもまた、ディズニー版スターウォーズを正当化させる為の装置として機能しているというわけです。

完全に冷めてしまいました。

自分の考えを完全否定されたジョージは、今、何を思っているのでしょう。

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