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「いのち」の使い方を考える――『ランド』

『ランド』の連載が終わってしまった。

 著者は『天才柳沢教授の生活』の山下和美さん。最初は単行本が出ては読んでいたのだが、クライマックスが近づくにつれ待ちきれなくなり、『週刊モーニング』の連載を追いかけるようになった。それくらい面白かった。

自給自足の、昔の日本のような村で

 あまり話すとネタバレになるので最小限にとどめるが、最初の設定からまず引き込まれる。

 電気もなければガスもない。当然車なんてない。かなり昔の日本のような、とある村。その村では人は50歳が寿命となっている。50歳の誕生日がやってくると、体が衰弱し、穏やかに息を引き取るのだ。

 食料は、畑を耕すことによって得られた米や野菜が中心だ。だから、天候不順は彼らにとって死に直結する重大事。そこから生まれたのが生け贄の制度だ。

 物語は、しきたりによって自分の娘を生け贄にせざるを得なかった主人公の父の独白からはじまる。

いのちの長短ではなく「どう生きるか」

「寿命」「生け贄」といったキーワードからわかるように、この物語の根底にあるテーマの1つは「いのち」だ。いのちの長短ではなく、「どう生きるのか」を著者は投げかけているように思うのだ。

 人生が短いことは不幸なのか。あるいは、長く生きることが幸せなのか――。答えは一人ひとり違うだろう。

 私自身は、「今あるこのいのちを、しっかり使い切ろう」と思っている。

当たり前ではない今日を生きる

 実は今回のnoteでは、当初は違う本を紹介するつもりだった。しかし今週末、テレビで流れた突然の訃報に驚いているところへ、数カ月前にお仕事でご一緒させていただいた方がなくなったという連絡が入ってきた。

 ご家族によると、かねてから病気療養中だったという。もしかすると、私と仕事していたときも、病をおして原稿を書かれていたのかもしれない。どんな思いで言葉を紡いでいたのかと考えるだけで、胸が苦しくなる。

 でもその方は、大きな功績を残していかれた。それはこれから先も、多くの人を勇気づけてくれるだろう。

 私は、何を残していけるのか。1日1日を、大切に使えているのだろうか。

「今日があるのは当たり前ではない」と思い、自分は何を残していけるかを改めて考えている。



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