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心をえぐられたい。|小説『死にがい求めて生きているの』

2019年の3月に発売されたこの小説。

『桐島、部活やめるってよ』『何者』などの朝井リョウさんの小説ともあって、

読まないわけにはいかない…!

ちょっぴり分厚い本だけれども世界観に引き込まれ、

あっという間に読み終えてしまったのは、

私が朝井ワールドに惹かれている証拠でもある。



ものすごいしんどい“あるある”


この本を私なりに一言で表すとこうなる。



この小説は「平成」が一つのテーマとなっていて、

平成という時代を生きている2人の大学生がメインとなって

ストーリーが展開される。


同じく平成に生まれ平成を生きてきた私にとって、

この2人を含む全ての人たちに

少しずつ共感ができる。


時代が生んだ「生きがい病」


この小説に登場する人物のほとんどが、

正直、


「マジ痛い人」



次から次へと興味の対象がうつり

フラフラしているように見える人。


「自分はすごいんだ!」といった承認欲求がダダ漏れの人。


そしてそんな人たちを俯瞰している人。


登場人物のほとんどの人が、


「中二病」

「意識高い系」


なんて言葉で片付けられてしまうんだろうと思う。

むしろ、そんな言葉をはめることができるからこそ安心できる部分がある。


けれども本当はこんな簡潔な言葉じゃ片付かないほど

彼らの心の奥はグルグルモヤモヤと日々葛藤していて、

そんな様子をこれでもかと小説の中で描いてくれるからこそ

かなり心がえぐられる。



対立がないことは良いことか


「平らになると書いて平成」


期末試験の順位が発表されなくなったり

運動会で順位をつけなくなったり、

“対立”がどんどんと減り

“多様性”がどんどん認められるようになっていった時代。


「肩書きなんてもういらない」


と言われるようになっていった時代。



だからこそ、

「自分」がわからなくなる。


男と女

大人と子供

1位とビリ

赤と白



そんな対立構造があったからこそ

人は救われいた部分もあったんだなぁと

ハッと気づかされる内容であった。



自分の立ち位置を明確にしてくれる肩書きがなくなったとき、

人はどんな思いでどんな行動に出るのか、

人はどこにアイデンティティーを見出すのか。


人の脆くて危うい部分が書かれた本作は

ある種“魅力的ではない人”が多すぎて読んでいてかなり心苦しい。


それは「嫌い」とか単純なものではなく

自分と異なる人物の描写のようで

自分と似ている人物のようでもあるから。


「平成」という同じフィールドの中で奇しくも様々な価値観が繋がっていき、

ものすごくしんどい“あるある”として私たちの心をえぐってくれる。




「好きなものがなくて苦しい」

「生きがいが見つからない」

「キラキラしている人が羨ましい」



そんな思いを持った人にとっては

自分を客観的に見つめることができる

痛くも心地よい小説になるだろうと思う。










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