見出し画像

#21 2021年11月第1週

『超相対性理論』

ネットでの「発信者」たちへ送られる様々な「リアクション」との付き合い方の話。自分は彼らのような不特定多数から様々なリアクションが来るような「発信者」ではないし、彼らへ意見した経験もない。こうやってあくまで彼らから受けたインプットを自分で咀嚼したアウトプットとして、発信者と全くは関係のないメディアへコソコソと感想を書き綴っている程度である。

なので本筋の話はあんまり共感するものはなかったけど、読書との付き合い方の話はなるほどと思った。それは、読書を「①自分に新たな問いと答えを提示してくれる本」「②既存の問いに新たな答えを提示してくれる本」「③既存の問いに既存の答えを提示している本」と分類し、これのポートフォリオを組んで自分の状態を見ながら読書をするというもの。①ほど新たな気づきや成長があるが心理的負荷が大きく、メンタルが弱っているときは拒否反応してしまう可能性が高い。逆に③ほど心理的負荷が少なくてエコーチェンバー的に自信を与えてくれるが、新たな気づきや成長は得られない。そう言えば最近、新書の類はどれも書いてあることが同じに感じてしまって非常につまらなかったが、これによると自然に③ばかり選んでるのだろうか。

『コテンラジオ』

近世・近代までのヨーロッパにおける性の歴史の話。ここまでで感じたのは、パーソナリティーも言っていたが、ほぼイコールで「女性の人権の歴史」でもあるということ。

そしてもう一つ、「宗教と科学の歴史」でもあるということ。時代で常識や社会通念が様々に揺れ動く中で、抑圧・弾圧する根拠としてキリスト教の教義が「使われ」ていた。しかしやがてキリスト教が弱くなってくるとそれには科学が取って変わり、優勢主義など今から見るとお粗末な論理で抑圧・弾圧は進められた。時代の社会通念・常識の根拠づけとして科学が「使われる」構図は、コロナ禍での買い占め騒動やワクチンの情報など、同じ延長線上で今も変わっていないということ。恐ろしい。

『クセの談義』

「クセ」と聞くとなんだかその人の深層心理が目に見えて具体化してきている気がして、人間味を感じるところでもある。

自分の癖を指摘されるのが恥ずかしく、逆に他人の癖を指摘するのが楽しいのは、何でだろうか。

『コテンラジオ』

楊貴妃と玄宗皇帝の末路、そして唐の話。楊貴妃の存在で皇帝に近づき、次々と取り立てられた楊一族は、宰相を輩出したり帝国内で存在感を強め、親戚内で屋敷の豪華さを張り合うなど、「外戚が調子に乗る」という中国王朝における没落のテンプレが発動。帝国内で蓄積した妬みや恨みが安禄山の反乱で爆発し、楊一族は都落ちの途上で味方の兵士により全員処刑。最後まで楊貴妃を庇っていた玄宗皇帝も処刑を指示するまで追い込まれてしまい、楊貴妃の生涯は終わる。栄華を誇った楊一族はわずか5年で誰もいなくなった。

ヤンヤンさんがストーリーの最初に言っていた「無常」に帰結する。しかしこの「無常」こそが、1000年以上も楊貴妃の名前が残り続ける理由なのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?