抽象化という敵

 抽象化が個人を殺すと言ったが、この抽象化は、人間が増えて・・・それに伴って社会の諸々の制度が出来上がるのにつれて・・・進行している。あらゆる人間が全生涯を抽象化されている。病院では「赤子」として、老人ホームでは「老人」として、生まれ死ぬのだ。


・労働者

 労働者は人間である。特定の人間関係と、個々の人生と、性格思想や趣味嗜好などを持つ、つまり唯一の人間である。だが、雇用者は唯一の人間であることを求めない。それどころか、無数にいることを求める。なぜなら、その人じゃないと仕事が回らないなんてのは、不都合だからだ。誰でもよければ誰でもよいほど経営は簡単になり、しかし仕方がなく学歴や能力を選別して特定の人々を求める。それにしても、それは個人になることはない。

 大量に投資し、大量に稼ぐにあたって、投資先であり稼ぎ道具である労働者はいくらいてもよいのだ。いなければいないほど、そのような企業は弱い。個人経営の店が潰れる理由がこれであり、個人経営の店が潰れない理由はその商売が個人に依存しているからである。

・消費者

 当然ながら、個人相手に商売をするのは不効率だし儲からない。だから個人を「若者」「友達付き合いが苦手な人」「見た目に不安がある人」のように抽象化し、商売を仕掛ける。そして消費者も生まれてからずっと抽象化されることに慣れて自身を個別化できない=個人として尊重できないので、まんまと乗っかってしまう。

・学生

 国民として生まれるものはいない。その国の言語を学んだり歴史を知ったり・・・いろいろ勉強してor身に着けて国民が生まれる。国家には国民が不可欠であり、国民には教育が不可欠であり、教育を効率化するには個人を相手にするのではなく「学生」として相手にする必要がある。簡単に言えば、すべての授業と授業外の学習が個別授業になったら大変と言うことだ。教師は、あなたに授業をしているのではなく、生徒に授業をしている。あなたも生徒であるが、生徒であることはあなたの一部でしかない。あなたの個性はお国のために蔑ろにされている。

・兵士

 兵士に求めることは、大量にいることと、管理しやすいことと、一定の能力と精神性があることであり、趣味がどうとか性格がどうとかはどうでもいい。軍隊で個人は「歩兵」とか「戦車兵」とかに抽象化され、1、2、と数えられ、そこに個人はいない。兵士は、戦争が始まる前にすでに精神的に殺されているのである。日常に戻って初めて、個人になれる=生きれるのである。

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