人間という存在について・試論


 全体性と唯一性

 私とは唯一の存在である。私を構成するものは、血や肉や骨や皮。私から血を一滴採ったとして、それでも私は私だろうか。いや、そこには「血を一滴採られる前の私」と「血を一滴採られた後の私」がいる。私という唯一は無数(まあ骨は数えられるけど)のものによって構成されており、少しでも欠かせば私はいなくなる。

存在そのものの全体性と唯一性

 個々の人間は唯一の存在でありながら、唯一であることの根拠は全体性にある。全体性とは、血の一滴すら含む「すべて」のことを言い、それによって個々の人間は唯一の存在となる。

 ここで言っているのは物理的な、空間的な話であり、いわば写真のようなものである。つまり、時間の概念がない。しかし人間は時間性=時間と共に生きる存在であり、いわば動画である。

 人間の全体性を時間の観点から見るとどうなるのか・・・つまり、人間を構成するものには「血や肉や骨や皮」と「幼児だった過去、老人になるかもしれない未来」の両方を含むのか、という問題がある。

 血や肉や骨や皮=空間的なものは確認できるが、過去と未来=時間的なものは確認できない。確認できるのは針の動きとアルバムくらいだ。ただ、どうにも時間の存在を前提にしないと話が通じないのでここでは時間は存在するものとする。

 そうすると全体性が際限なく伸びる気がする。単に「私は文学部に進学した存在である」だけでなく「私は経営学部に進学したかもしれない存在である」、「私は作家になるかもしれないし、フリーターになるかもしれない存在である」のように、可能性までが全体に含まれるかもしれない。なので、人間から自由を=可能性を奪うことで時間性を無効化する。

 私はナイフを見て、右手で取って、フォークを見て、左手で取って、ステーキを見て、ステーキにナイフとフォークを近づけて、ステーキを切って、口に入れて、舌で味わって、歯でつぶして、頬の筋肉を使って喉の奥に入れる。これを食事と言う。つまり、行動には「ナイフを見る、取る」という「単なる行動」と、単なる行動の集まり=食事を言う「複合の行動」がある。この「複合の行動」の究極=集めることができないこと=唯一であることは、生きるということだろうか。いや、生きることは誰でもやっている。誰でもやっているわけではなくすべての行動を集めて=まとめて言えることは「田中太郎(仮)が田中太郎として生きる」、ということである。「田中太郎」と言う唯一性と「生きる」という全体性が確保されている。

 この「生きる」の時間的な全体性=可能性を含むのか?という問題は、「死」によって人間はその先の可能性を絶つ、時間的でなくなる、ということで解決される。つまり、人間はいずれ死んで、死ねば可能性がなくなるので、「ここまで」と言えるようになって、全体性が確定する。「彼は文学部ではなく経営学部に進学する可能性も持っていたが、事実としてそうはしなかったし、田中太郎とは文学部に進学した存在であって、経営学部に進学していればそれは田中太郎ではない」。

 結論としては、田中太郎には田中太郎として生きる以外の選択肢がない、ということである。

 以下の文は読む必要がないが、念のため+αとして書く。

 「生きている田中太郎は時間性=可能性を持ち、これからどういう行動を重ねるか分からないので、田中太郎とはどういう存在か分からない=全体性を確定できない。しかし、死んだ田中太郎はこれからどういう行動を重ねることもないので、もしもはないので、どういう存在だったか分かる」。

 瞬間死亡存在(カッコつけ)

 私が髪を染めても私であると皆は言うだろう。では、「私は顔と体と性別と性格と好き嫌いと趣味と職業と学歴と経験と両親と・・・etcが違うだけで橋本環奈である」と言ったらどうだろうか。いや、それはもう別人じゃないかと言うだろう。そこにはなんらかの「違い」が見出されているということだが、髪を染めることと橋本環奈であることの「違い」とはなんだろうか?

 先に述べたように、全体性は血の一滴までを含む。血は空間的なものだが、時間的なものでは「1秒」ですら含む。つまり、私とは厳密には「2024年4月24日20時16分54秒の私」であり、1秒進めば「2024年4月24日20時16分54秒の私」が生まれ、1秒前の私は死ぬ。人間は1秒1秒、0.1秒でもいいし、0.01秒でもいいが、とにかく一瞬一瞬で変化して生まれ変わりを繰り返すのである。

 そして死亡した人間にはもしもがない=過去は確定している=どういうものか分析と説明ができる、ゆえに、自分について分析するのなら「これからなにをするだろうか」ではなくて(田中太郎として生きるかないので、そして田中太郎がどういうものかは死んだときにしか知れない=そのときには知る主体(田中太郎)がいないので知ることができない)、「これまでなにをしてきたか、いまどう思っているか・なにを考えているか」、を対象にするべきである。

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