映画刀剣乱舞黎明の酒呑童子の呪い、ラスボス戦についてとか。

すみません、すみません。ほんっとこの映画考えれば考えるほどなんか逆に楽しくなっちゃって2回目見るのはもう心の中で決めたんですけどもうどうせならいっぱい考えてパンフと小説見た上で楽しんじゃおっかなって。

前回と前々回も見たい人はリンク張っとくのでどうぞ。
書くたびに考えがちょっとずつ変わってて何言ってんだこいつ…ってなったらごめんなさい。

集客させるためにつくったとかなんかもうそういうのは疲れるので横にぶん投げる。ソォイ!!(これだけ情報解禁早いってのも制作陣思ってることあるんでしょうから、次に生かしてくれ。あと、ぶっちゃけあのラストのシーンやっぱ映画館の大画面でもう一回見たい。)

ふせったーから来た方ありがとうございます。
人とモノがそれぞれ対峙する姿を書いているのではないかということに
はっと気づかされたのがだいぶでかくて。もうそんなん知ってるよって人はごめんなさい。映像だとなんか私読み取れなかったんですよ。まじで考えるとじわじわ後から来ますねこの映画。

最後に乗っ取られてた伊吹ごと斬られて終わるのか?って思ってたら終わらなくて酒呑童子が出てきてしまい、更に三日月が童子切の怨霊を斬るからな、なんでだ!?ってなってた私の疑問が晴れた。他の人の考えも聞いてみたい!!とりあえず思いついた順番から書いていきます。

山姥切が切ったのは誰

首を斬ったように思たけど、山姥切が斬ってるのこれ、アクセサリーの方か!

なるほどー!!!確かに山姥切国広自身が切ったのはあくまでもモノ!!
角なので酒呑童子の一部じゃねえの?っておもうけど1000年の時を超えるうちに、「モノ」となったって感じでしょうか。(この後の文章で書きましたがもう一つの線もあるかもです)

これはノベライズから引用ですが

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酒呑童子の首が舞う
ぽとりと角の首飾りが琴音の手に落ちた。

琴音はこの物の声を聞いた。

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私ずっと角に宿ってるのは、平安時代から平成へたどり着いた酒呑童子の精神そのものかなって思ってたんだけど、

これ、モノとなった鬼の角が付喪神としての実体化まではできてない状態で酒呑童子の記憶を引き継いでるって可能性もある?

モノでは復讐できないから、似た人形の依代が欲しかったとか。
映画内で、呪った後酒呑童子は首を斬られているので、この考えもなくはないのかなーって。

ちなみに平安時代で山姥切、お前酒呑童子斬ってんじゃねえかってなりますが、無理矢理こじつけると、山姥切は自分の意思で斬ったのではなく、酒呑童子が刀を奪って斬っており、最終的にトドメを刺して首を持ち帰ったのは頼光。童子切も逸話ができるので史実通り。

酒呑童子を斬ってしまったせいで山姥切の存在事態が歪むってのはもしかしたら敢えてのミスリードなのかもしれません。(いやわかりにくいがな)

山姥切の記憶喪失

なんかずーっと山姥切国広が記憶なくしたのが引っかかってたんだけど、前回書いた念いがこの映画のキーワードなら、酒呑童子は念いを奪う能力が微力ながらあったのかも。時間遡行軍の力を借りてそれを増幅させた。とか。

時間遡行軍は山姥切が来るとわかってたのかな?995出陣組で妖の名がついてるのが山姥切だけだから、取り込みやすいかもって考えた…とか
(そこのところどうなんですかね時間遡行軍返事して!)

血は呪いの媒介になりえるのでは?
血を山姥切本体に流し込むため首を斬りつけたのかな…

そもそも酒呑童子はどんな呪いをかけたんでしょうか。
刀剣男士、刀とはそもそも人が願って生まれたものでもあるのでは?
人から生まれた山姥切という刀の歴史、その願い、念いが消える=記憶が消えるにつながったのかな。

※パンフレットの荒巻君のインタビューを読んだんですが、冒頭の山姥切の消えるシーンは、荒巻くん自身は痛そうなのかなって思ったら、儚げにずわあああ!って消えるそんな感じという指示が監督からあったみたいで、「儚さ」「戸惑い」「不安」「救い」そんな感じの表現になった見たいです。
もう一回映画見て確認しますね!!

人の念いで顕現してるなら、その記憶が無くなってしまうのは致命傷ですね。酒呑童子を切ったから存在が揺らいだのではなく、念いを奪われる呪いをかけられたために、刀剣男士としての存在意義が揺らぐってことはこれかなり山姥切、存在の危機的状態だったのではー!?

でも、存在が揺らぐってことは形を保っていられないことにもなりますよね。今回は記憶だけ消えちゃってます。

んー。とりあえずノベライズを見てみようか。

ノベライズより一部
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「呪われろ!人々が我らを忘れても我らの恨みは決して消えぬ!明日の明日、千年先の明日まで、日の本に永遠の災いあれ」
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光が山姥切を包むと同時に流れ出た血から噴き出した桜吹雪が山姥切を覆い始めた。山姥切は桜の花びらから逃れるようにもがく。けれど縫い留められたように足が動かない。
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叫ぶ酒呑童子のこの言葉は呪詛。今回の呪詛って楽に死ねると思うなよっていうのがあったんじゃないですかね。それこそ千年先の明日まで。
だから存在までは消さず、記憶を消すことだけにとどめた。

もしくは映画のラストで取り込みすぎて壊れかけたので、たくさんの念いが紡がれてできている刀剣男士のことを消しきれなかった…とか?
(酒呑童子ちょっと出てきて話してくださいません?)

※記憶がなくても長義くんに対しての行動を見る限り、刀剣男士としての意思はあったみたいなので、刀剣男士だから記憶消されるだけで済んだのかもしれない

更にこの桜の意味は何だろう。血から噴き出す。ということは刀剣男士からの桜ではなく、おそらく酒呑童子の念い(呪い)の類ですよね。桜は刀剣男士の顕現によく使われてますけど

血が桜に…刀剣男士の刀を借りて、酒呑童子が己を斬る。
自分の一部を付喪神化させるためだったって説はありますかね。

ラストのシーン

ここねー最初なんか王道展開だなーってぼへーって見ちゃったんですけど
よーっく考えたら、ちゃんと人は人で、モノはモノで決着がついててうまいなあって思いました。(そこまで思考がたどり着くのに私の場合大変時間がかかったので、複雑な思いですが。)

琴音が同じ人として伊吹を諭す
ここの諭し方は、どうなんだってとこありますけど、
前回書いた「琴音はモノの力を見る、聞く」ことができるので
健くんの念いがこめられたゴムボールを伊吹君に届けてます(ノベライズでわかりました。映像じゃそれわかんねえ…)

自分で立ち直った伊吹が主として山姥切に命令する。モノは人のために動くので、伊吹君の覚悟決めた顔と、山姥切とのこの信頼関係。
ここは胸熱展開でしたね。
だからこそ1回目見たときえっつそこでおわるんじゃないんかーい!ってなったんだけどこれは実際正解だったんですね(わかりにくいんだけど)

モノはモノ、人は人同士で解決するって感じみたいなんでこの映画。

ここで山姥切が切ったのは人ではなく、念いの込められた角の首飾り。
モノがモノを破壊するっていう構図その1ですね。おそらくここで角に宿った付喪神は角から切り離されてしまうので、形をなくします。
しかし完全に死に切ったわけじゃないのがここ。
1度は大量にモノの念いを取り込んだことで、依り代がなくても動くことがたやすくなったんじゃないですかね。わかりませんけどなんかあれだよ。エネルギーをもらったみたいなさ。ここで酒呑童子(角の中に宿ってたモノ)は最後の悪あがきを見せるのでしょう(ってことで首だけの実体化に成功)

そしてラスボス戦、怨霊化した酒呑童子VS三日月宗近
人ならざる者同士の戦いになります。

とどめを刺したのがなんで三日月だったのかは、明確ではありませんが
おそらく三日月は山姥切に切らせたくなかったのかもしれません。
山姥切はぶっちゃけ1回記憶とられちゃってるし、最終戦前に記憶が戻ったばかり。さらに伊吹を抱えてる。う、動けないね…

あの場にいたのは山姥切と三日月の二振りだけ。
…ってことはまあ、三日月だけになりました。戦えるの。OK了解した。

飄々とした三日月だけど、仲間である山姥切の記憶を奪われてしまったことは少なからず動揺しただろうし、酒呑童子に対して思うこともあったんじゃないでしょうか。(そこを顔に出さないのが三日月らしいなと思います。いやもしかしてそこラストのシーンあるのか!?いやどちらでもおいしいですが!!映画見たいです早く週末になってくれ)


以上私が何となくこうじゃないのかなって思った考えでした!
見落としとか間違いあったらごめんなさい。

映画見たらまた感じ方変わるかもしれない。
思いついたのをこうして書き出すのはめっちゃ楽しいのでまた気づいたら何か書くかもしれません。