“いい歳こいて”に殺される

パッキパキの金髪が

彼女のスタイルには良く似合っているな

と感じた朝のオフィスで、

隣のデスクの彼女に「いい歳こいてアレはないですよね」と言われた。


服装髪型自由が我が社の求人文句だ。

30代に近付くにつれ私自身よく言われる様になったその言葉には、僻みに呆れと哀れみと、実は少しの憧れが含まれているように感じている。

母は昔から世間体や評判を気にするタイプの人で、どちらかというと派手な方に惹かれていく私とはもれなく「恥ずかしい」「どこが?」「みっともない」「どの辺が?」論争を繰り返してきた。

それが私が30代を迎える辺りから「いい歳なんだから」の一辺倒。かつて私を罵り倒してきた数々のボキャブラリーもどこかへ消えてしまったみたいに、今も誰かが決めた“年齢”イメージに囚われている一人だ。

母は私を28歳で出産した。当時28歳での初産は周りに比べると“遅い方”だったらしく、散々まわりや親戚達から早い方が早い方がと言われ続けて生まれた年齢コンプレックスを今も根深くもっている。

「キミハには惨めな思いはしないで欲しい。」

果たして“遅い”結婚出産は惨めなのだろうか。

そもそも、身体の限界がある出産はともかく結婚の“遅い”とは何を基準に誰と競わなくてはならないのか。

結婚出産の年齢の幅がグンと広がっているであろう現代で、マウントを取りたがるのはいつだって親世代だ。

これは私たちの現役感と、隠居感との戦いだ。

仕事も、自分のためだけの時間も、今しか抱けないこの感情も全て捨てるのには、まだまだ到底腹を括れる気がしないでいる。

だから

母の言う「いい歳こいて」には、自由に動くことを止めない私への心配と羨ましさが含まれているのだ。

あまりに結婚出産願望のない私でも、いつかは訪れる出産のリミットに焦る時が来るのかもしれない。

でもそんな時には、

あの時自由に働き、遊び笑っていた自分に後悔なんてしないであげたい。

その時にそう感じて、言葉を発して、動いた自分を好きでいてあげたい。

だって人生は戦いだ。

早いも遅いも勝ち負けもなく、スタートとゴールも給水ポイントだって全部、自分で決めたらいい。

その全ての自分を愛していけばいい。


だから私も彼女に伝えた。

「その金髪、超似合ってる!」

ってね。

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