見出し画像

「京都」ってどこよ?

こんにちは、西村公宏です。
今日の話題は「京都」の地元民的な定義です。

まずは、地元民じゃなくて一般的な方。
多くの人は、行政区分の「京都市」を刺すでしょうね。
有名な観光地は、だいたい京都市にありますから。
場合によっては、「宇治市」「長岡京市」「八幡市」あたりも含まれるかもしれません。
それぞれ、有名な観光地がありますから。
いわゆる、京都南部。
場合によっては、「京都府」もあるかも。舞鶴や宮津(天橋立)も含める発想。

一方で。
地元民、特に中心部に住んでいる人達にとっての京都市は全然違います。
とにかく、範囲が狭い。
一番狭義では、行政区分での「上京区」「中京区」「下京区」の一部しか入りません。
何故か。
元々京都市じゃなかったからです。
京都市設置後に合併で京都市になった場所は、「京都」扱いされません。

このロジックは、平成の大合併のことを思い出して頂ければ、その感覚が分かるかと思います。
政令指定都市を目指すため、やたらと合併して人口水増しさせた市とかあるじゃないですか。
そういうところって、今でも旧市名で呼ばれたりしますよね。「浦和」「大宮」「与野」って。って言っちゃった。
その発想が、明治から続いているのです。それだけ。

京都市には、郊外を「洛北(主に北区)」「洛南(主に南区)」「洛西(主に西京区右京区)」「洛東(主に山科区)」って言うことがあるのですが、
これって「洛中(つまり京都の中)」の東西南北にある別の地域って意味ですからね。つまり「洛外」。都の外側。

と、
言うわけ
で。
京都の範囲は、未だに過去をひきずったままなのです。
ただ、これって他地域にもあるとは思いますよ。
歴史的な地域性がまだ残ってるのって。
たとえば、旧律令国。愛知県では、「尾張」と「三河」は別物ですよね。青森県の「津軽」「南部」とか。
大阪府も「摂津」「河内」「和泉」でだいぶ雰囲気変わります。
それが、街レベルで残っているってだけです。

なお。
じゃあ、「具体的にはどの辺が京都やねん!」って他府県の人はお思いになると思いますが、その理解を助けてくれるのが以下です。

近代京都オーバーレイマップ
https://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/html/ModernKyoto/sp/index.html

古い地図と今の地図を重ねることで、京都市の拡がりをビジュアル的に理解できます。
昔、田んぼだった場所は、軒並み「洛外」です。
コレが、伝統的京都民の発想です。めんどくさいでしょ。
京都の地元民と会話するとき、これを知っておいた方がスムーズに会話できますので、参考までに。

以上、「京都」の範囲の話でした。
文字ばっかりでスンマセン!

(以下、マニアックな補足情報)
厳密な京都の範囲は、安土桃山時代に遡ります。
秀吉さんが作った「御土居」の内側が「京都」です。
秀吉さんは今の京都の街作りの基礎を作った人です。
祇園も洛外です。御土居の外で、ちょと羽目を外す場所。
知らんけど。
https://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000005643.html

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?