1989年。平成が始まった年㉞あれから30年・・・
前項で言い忘れたかもしれないが、私は、坪井に、当時はまっていた太宰治、その著書「如是我聞」に絡めて、「心からの問い」を手紙越しとはいえ、ぶつけた。しかしながら、それに対する回答はなかった。
「手紙ありがとう」
で始まるやや高圧的な「文書」は、隷書もどきで書かれていたが、H民商に行ったことは、「よく決心したね」。どの口で言えたんだか。そもそも誰に対する「誠」だと思っているんだ!!
主に書かれたことは、N福祉大時代の思い出話、やれ徹夜で共産党のガリ版作ったのM鉄は向かい座席の徹夜明けのミスドのコーヒーがどうの・・・・
一言でいえば、当時の私にとってどうでもいいことばかりだった。また、どうでもいいついでだが、盆の授産施設での対応について「悪いことしました」それで済むか、ばあか!また、「太宰治読んだら感想書かせてもらう」とも書いていた。
当然ながら、それで済むはずがない私は、すぐさま坪井に、再度手紙を書いた。どういうつもりでH市に来たと思っているんだ、という旨書いて。
あなたへの「誠意」じゃないか、と。
すると、前回はとんぼ返りで来た返信が、いかに待とうと、来ることはなかった。
ガンダムに出てくるガルマじゃないが、
「謀ったな、ツボイレイコ!」
要は嵌められたのだ。騙されたんだけどね。
一か月以上、返信がなかった時点で、そう断定した。そしてそこから、左翼に対して、気持ちが離れ始めた。
心の動揺に付け入って、「同志」を誑かし、偽善を働き、ぺてんにかけて、騙した挙句裏切った。これが坪井令和だった。同志を騙すことを「アドバイス」とぶっこくような女だった。
こんなモノがいるから、左翼に勧誘されても、
「票は入れても中に入るな」
と言うのだ。
民商にいた頃のことは、おいおい書いていく。もっとも、この世にいない者もいるだろう。30年経ってるしね。例えば、H民商の事務局長だったNさんは、23年前、池ポチャで亡くなったそうな。
手紙のアーカイブがないことが残念だが。よって、信じる信じないはお任せする。
現在は無名の、いちネット作家に過ぎませんが、 書き続けるためにどうか ご支援をどうか よろしくお願いいたします。 a.kimitoki2023@gmail.com