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最近、私がおとなしすぎる件。

最近、びっくりするほど人と話したいと思わない。

ここでいう『人と話す』は、はじめましての人と話し、仲良くなるという過程のこと。

パーティや飲み会は、別に嫌いじゃない。

なんなら、半年〜1年前にはイベントの主催をしたり、

やりたいことについて大勢の前でスピーチしたりしていた。

ヒッチハイクで高知まで往復したり、

あらゆる学生のイベントで自分の着付け講座を宣伝したりもしていた。

あの時は、毎日毎日だれかに自己紹介をしていた。

毎回とっても疲れたけど、それを嫌だとは思わなかった。


だけど最近は、無理して人と話すのに疲れてきた。

人に興味がなくなったわけではない。

1対1で話す場や、誰かの話を聞いているのは好き。

でも、たくさんの人がいるところで、自分に興味を持ってもらおうとする気持ちが少なくなった。

なんだか時間を消費するような、そんな会話。

残り時間を埋めるように気を遣いながら、周りを伺いながらする会話って

なんかきもちわるい。

1人になるのは寂しい。

でもだからといって楽しそうなフリ、関心がありそうなフリをしながらいるのはしんどい。

相手にも失礼だ。

単純に興味がある、話してみたい、聞いてみたい、知りたい。

そんな風にしっとり話すのがすき。


私は良くも悪くも、環境の変化や空気の変化を敏感に察知してしまう。

「あ、この人飲み物とりにいきたいんだな」

「あ、今目で追ってたからあの人と話したいんじゃないかな」

当たってるのかはしらない。

けど、そんな風にいろんなところを見てしまう。

だから、注意を向けるのは1人がいい。

その人だけ見て、丁寧にお話したい。

これが、私がパーティで頑張らなくなった一つの理由。


もう一つは、あえて言葉にしなくなったこと。

今考えていること、過去のこと、未来のこと。

これを、万人受けする言葉に当てはめるのをやめた。

例えばよく聞かれるのが、大学をやめた理由。

一番簡単なのは、「やりたいことがあった」「学校がつまらなかった」

こう言えば、多くの人が納得してくれる。

でも、これは全てではない。

本当は、「はじめて休学したときに学校をやめる予感がした」とか

「人生を弄んでみたかった。破壊衝動に近いきもち」とか

「学校をやめたところで死なないし、人生終わらない。それを証明したい」とか。

一言では言えない思いや考えがたくさんある。

そういうことを、何人もの前ですぐに言葉にするのは難しいし、

言葉に当てはめてしまうと、うまく伝わらない。


言葉の力は強い。嘘を話すとほんとにそう思い込んでしまう。

だから、丁寧に、その人に伝わるように話したい。

最近は、頑張らない自分に挑戦している。

無理しない、大きく見せない、頑張らない。

もしかしたら、無愛想なやつだ、とか空気読めないな、とか思われてるかもしれない。

でも、それでも今はそうやっている時期なんだと思う。

時間をかけて煮込んだ言葉や考えを、文章にして吐き出すのが

今の私には心地良い。







言葉を綴ることで生きていきたいと思っています。 サポートしていただいた分は、お出かけしたり本を読んで感性を広げるのに使います。 私の言葉が誰かに届きますように。