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「薙刀」の訓練

https://x.com/UV312GwqDkt0/status/1756988978698567752?s=20
この写真を例に「竹槍でB29を堕とそうとした」と言う人が時々いるそうですが、この写真は1941年の「薙刀」の訓練で、女学生は半袖半ズボン姿ですから気温が暖かい時期で、太平洋戦争の開戦(1941年12月8日)より数カ月前の時期の撮影と推測され、大戦末期どころか開戦前です。ですから本土決戦など全く考えられていない時期です。そもそも、その頃はB29はまだ開発前で飛べません(B-29の試作機の初飛行は1942年9月、またB-29による日本初空襲は1944年6月)戦前は男子は剣道、女子は薙刀が武道の必須授業だったそうです。

おそらく、これは戦時の毎日新聞の竹槍事件の記事の比喩的表現が、戦後にいつのまにか一人歩きし「竹槍でB29を…」という話しになってしまったと思われる。

「竹槍か薙刀かは大きな違いじゃない」と思われる方もいるかも知れないが、歴史的な写真は、想像や妄想で語るのではなく出所や出典を明記するのが大切だと思います。

よく言われる敗戦直前の竹槍訓練と言われるものは本土決戦に備えたパラシュートで降下した敵兵対策で、やむを得ずやっただけであり、その竹槍で、日本軍の高射砲も届かない高度で飛んでいるB-29を撃墜できるという発想は、その頃の学生にはあり得ない話しです。

ちなみに、B29爆撃機の喪失機は、485機、損傷機は、2,707機。B29の搭乗員の戦闘による死傷 332人、戦闘後の行方不明者(未帰還)3,041人と、B29の総出撃数33,407機には遠く及ばないが、「手も足も出なかった」とまで言うのはどうかとも思います。

まあ、当時の日本、特に軍部や政府に大いなる過ちと問題があったのは間違いないですが、それとこれとは別の話しです。当時の女学生に対して失礼な話しだと思います。

https://x.com/tokumeikibon1/status/1756993383946686891?s=20
戦前は男子は剣道、女子は薙刀が武道の必須授業で、その話を親類縁者からよく聞かされました。
木でできた薙刀が残っていたのを覚えています。
懐かしいです。

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