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ねこすく ―ねこがきみを救う― 4話

あっつい

「あっつい、もう死ぬ」
 暑いのはわたしも同じである。しかもわたしは年中この極上の毛並みにおおわれているから、暑さは彼女らと比べても尋常ではない。
「エアコン壊れるとか、最悪」
 彼女は下着姿のまま横になっている。窓がひとつしかない木造のアパートは風通しも悪く、残暑のおり、室温は30度を超えていた。これでは外の日陰のほうが涼しいぐらいである。と、わたしが老体に鞭打って外にでようとすると、彼女がしっぽをぎゅっとつかんで、そのままぐいとひっぱった。
「にがさないよ、ぬこ」
 涼しい木陰にでも、というわたしの思惑はもろくも崩れた。猫の体温は人間よりも高い。狭い部屋にわたしがいれば、それだけで暑さは増すのだ。わざわざ熱源が去るというのに、わたしには理解できなかった。ちなみに猫の尻尾をひっぱるのは厳禁である。はんなには後ほど厳罰を科したいと思う。
「夏休み、ああ夏休み、夏休み」
 赤点に近い彼女の口走った句は、夏休みのあった学生当時を思い返してのことだろう。彼女がこうしてだらしなく口を半開きに、よだれをたらしながら眠っていられるのも今日限りである。明日にはまた仕事が待っている。
「お菓子、だらだら、ネット、メール、ゲーム」
 そういった底の浅い願望は決して戻らない過去とともに、赤く染まった夕日に消えていった。彼女はおもむろに枕元にある目覚まし時計の電池を抜いた。
 人間の数ある功罪のひとつに、時間という概念の発見がある。時分秒とことこまかに設定することで、人間は時間に支配されることとなった。時間の遅速が目にみえてわかるようになり、結果、すこしでも遅れれば、遅刻というペナルテイをくらうし、状況によっては空腹でも食べることが出来ず、疲労がたまっても休むことができない。われわれからは考えられない習慣である。
 時計の電池を抜くのはさしずめその支配から脱出するための苦肉の策であろう。たしかに、世界中のすべての時計から電池を抜けば、人間も少しは救われるのかもしれない。いや、おびえているのは時間にではない。その流れる時間の中にたたずむ何かに、である。時間の流れを汚染させている根源である。
「なんとかしてよ~ぬこお、暑くてもうなんもやるきでないよ」
 主人はわたしを青い猫型の機械人形と間違えているんではなかろうか。わたしに出来ることなどせいぜいこのうちわであおいでやるぐらいである。とはいっても、この欠けた肉球ではそれも満足ではないが。

エアコンの修理をしてみる

「エアコン、修理、めんどくさいけど」
 はんなはベッドから床へと器用にころがりながら携帯電話を拾った。休日の彼女は決して起き上がることはない。このように一日中寝たままで大半の用事をこなしている。人間は会社以外ではどうやら足など不要らしい。数百年後に四肢が退化してしまったころには、知性と手をうちわのように自在にあやつるまでに発達させた猫族の天下であろう。
「なんか混んでるから明日になんないとこれないってえ」
 どれだけ騒いでも修理日程が早まるわけではない。ただ無駄に体温を上昇させるのみである。やがてそれに気づいたのかそれとも疲れただけか、はんなは急に静かになった。30分ほども目をとじながら、あと10秒とか、1分とかぼそぼそつぶやきながら、ふんと鼻をならし、そして立ち上がった。どうやら時間は立ち上がるまでのカウントダウンのようだった。
「うわきたなっ」
 悲鳴を上げながら慣れない手つきでエアコンのカバーを外す。埃をかぶった工具セットをかたわらに、頭には髪を上げるようタオルを巻いていた。
 どうやらエアコンを自分で直す決意を下したようである。実は彼女は工業系の学校出身で、以前は簡単な電気製品の修理ぐらいは出来ていた。
「基盤からの結線のどこかだと思うんだけどなあ」
 ドライバーやらペンチとかいう工具を手にしながらそれっぽいことを言っているが、形だけだということは明白だった。
「やっぱむりー」
 ただ熱くなったはんだのけむりが、暑い部屋の空気をさらに揺らすのみだった。
 思いつきで行動するがあきらめがはやく、完遂したことがない。こういうところも昔からかわらない。そしてその尻拭いをするのがわたしだというのも昔からである。修理に手をつける前に、工具を広げただけで不貞寝してしまったはんなを尻目に、とりあえずエアコンの電源コンセントを抜いた。
 この肉球というものを人間の手と同様に扱うのは当然ながら難しいのであるが、わたしはやむをえず、肉球でパソコンのマウスを握った。どうでもいいが、我々の仇敵である鼠の名前を冠するものをこの高貴な肉球に触れさせるとは、なんたる悲劇だろうか。とりあえずわたしは電子ファイル化されたエアコンの説明書をひととおり確認した。
 小一時間後に目覚めたはんなが見たのは、エアコンの配線を銜えながらはんだをにぎっているわたしだった。しばらく寝ぼけたようにぼんやりとしていたが、やがてはっとひらめいたような、いやに腹の立つようなにやついた顔をして、わたしをスマホで撮影しだした。
「ぬこ、こっちむいて」
 この暑い中やらせておいてこのざまでは、さすがに温厚なわたしもだまれ小娘と一喝したくもなる。ひととおり撮影を済ませると、ようやく修理を手伝うようになった。その後はわたしの動画を友人に送ったらしく、それをねたに夜遅くまで話し込んでいたようだった。

はんなを迎えに

 それから数日後の深夜、わたしはいつもどおりの時間に家をでた。最近はこのように、はんなの帰宅を迎えに行くのが日課になっていたが、その日は雨が降っていたので、折りたたみの傘を銜えていた。普通の傘ではわたしの口に大きすぎるのである。例によって、はんなの忘れものだった。
 わたしは時間まで、雨宿りがてら駅近くにある神社ではんなを待っていた
 小さな神社なので人はおらず、手入れがされている様子もほとんどなかった。賽銭箱は誰かに破壊されたような跡があり、残骸とともに雑草が中まで入り込んでいる。境内も人間の背丈ぐらいの藪が一面に生い茂っており、人が来ることもめったにないのだが、今日に限っては先約がいた。
「眠い、おなかすいた、疲れた、もう帰ろうよにいちゃん」
「さっきオレのチョコやっただろ」
「ゲーム電池切れたよ、かえって充電だけさせてよ」
 そんな会話を社の中でしているのは二人の少年である。年のころは小学生の高学年と低学年といったところで、会話の内容から兄弟のようだった
 外は雨。季節は盛夏を越えたころである。昨日までの暑さは一変し、秋を感じさせるような冷気が吹き込んでいる。傘を持った様子もない二人は、濡れたシャツをべったりと肌につけたまま、体をときおり震わせていた。
 わたしが社の引き戸を肉球で開け、驚いたような顔をした兄弟と目があったのがそれより数十分ほど前である。同胞はこういった戸など開けないので驚くのも当然なのだが、わたしとしてはまさかこんなところに人間がいるとは思わなかったので、少々うかつだった。
 雨宿りのため社に入ったわたしは少年たちとは反対側の隅に陣どって、体を丸めた。夜目にまぶしいほど室内がいやに明るいと感じたが、少年たちの懐中電灯のせいだった。わたしはその無遠慮ながらも弱弱しい光の飛沫を避けるように佇みながら、落ち着かない夜を過ごすことになった。
 雨足はだんだんと強くなっている。古い社はところどころ雨漏りし、水滴が少年の頭に落ちたらしく悲鳴があがった。屋根をたんたんと打つ雨音が少年たちには不安げに聞こえているようだが、わたしにはどこか心地よかった。
 深夜に子供二人がこんな人気のない場所で何を…などという心配はひとならぬ猫の身であるわたしには無縁だった。しかしいつ帰るかわからないはんなを素性のしれない人間と待ち続けるのは少々辟易だった。

神社にいる子供の兄弟


 わたしは銜えていた傘を二人に投げた。少年たちは不思議そうにわたしのほうに光を当てる。だからまぶしいといっている。わたしは不機嫌に一声上げた。
 弟のほうは傘をとろうとしたが、兄がそれを制するようににらみつけると、やや不満気に伸ばしかけた手をおろした。どうやら傘がないので仕方なく雨宿りをしている、というわけではないようだ。彼ら、というより兄のほうからは、ここを出るわけにはいかないという確固たる、しかしはかなげでもある決意を感じた。少年たちは雨が弱まっても、まったく外に出る様子もないし、そういえばそもそも雨足を気にするような様子もなかった。まるでほかに行くあてもなくまちぼうけのよう、社の中に閉じこもっていた。
 懐中電灯の光が、右に左にとせわしなく動いている。弟が壁を這う蜘蛛をみつけて、それを追いかけている。兄は床に出来た雨漏りのしみをがりがりと爪で掻いていた。
 時間をもてあましているのはわたしにも明白だった。人間はこういうとき、本を読んだり携帯を触ったりするのが普通だろうが、そういうものを我々並にすべて剥奪されたとき、手に何もないという状態にとにかく不慣れなため、およそこのような行動に移るしかないのだろう。人間はこんな無意味な行動とるとき、スマホやら書籍やら、両手が見苦しいほど雑然とふさがっていたかつてをどう思うのか。
 蜘蛛が天井から落ちて、兄がどんとそれを踏み潰した。蜘蛛の垂らした糸がまとわりつき、兄はそれをうっとうしそうに払っている。弟は踏み潰された蜘蛛に光を照らしながら、興味深そうにそれを見ていた。

両親の離婚


「りこんって、パパとママがばらばらになるってこと?」
 兄は肩をぴくりと動かしただけで、返事をしなかった。潰れた蜘蛛に焦点をあてた光の輪郭が、彼の頬をかすめるように照らしていた。弟の言葉によって生じた何かによって、丸みを帯びたほほの肉は瞬時に弛緩して、精悍な顔つきとなった。
「離婚したければすればいいさ。大人の勝手で振り回されるのはごめんだ。おれたちは自由に生きていくんだ」
 わたしの耳はぴくりと反射的に動いた。少年の吐く自由という言葉をもって、わたしは今まで、自由たるゆえに命を落とし、傷ついてきた同胞たちのことを思い出した。彼らは最後まで完全なる猫であった。すなわち片時もその肉球から自由を手放さなかったゆえの死であった。
 飢餓、苦痛、極寒、この少年たちはそういったものとは無縁に育ってきたのだろう。人間は不自由ゆえに、恵まれた環境で生きてこれた。だからわたしは自由という言葉を軽々しく使う少年に、失笑を禁じえなかった。
 今度は天井の隅に電灯を向け、しばらく動かさずにいると、雨に羽を休める蛾が光に釣られ丸い輪郭に沿うよう集まってきた。弟はそこにむかって手を伸ばした。小さな子供の手では届くはずもないが、弟は空中で何かを捕まえるようなしぐさをしていた。まるで手がどこにでも届くと、錯覚しているかのようだった。
 兄はずっとしわくちゃの千円札を握り締めていた。片時も放すことがなかったのは、それが生きる手段のすべてだからだろう。人間は金がないと、自由に生きることも出来ない。そして自由と金は両立し難い。
 金、知性、言語、感情、いろいろな糸に縛られているのは彼らだけではない。空虚な自由を求める人間すべてである。それを偽善者どもが好みそうな、絆でつながっているという表現を、いつか戯れに用いてみようか。
 草交じりの湿り気を帯びた風に、わたしの妄想とはんなのにおいがまざりはじめた。わたしは社の戸をあけて、何度か鳴いた。低くうなり続けるようなわたしの鳴き声に、兄弟は薄気味わるがっているようだった。

はんなの金儲け


「うそ、こんなとこにいるの?」
 やがてはんなが藪をかきわけ、社までやってくる。見知らぬ二人の少年を見ると、少々面くらったように会釈した。
「こんなとこで何を…あ、そうだ。いいものあるよ」
 と、はんなが取り出したのはカメラである。なかなか高級品で、動画も撮れる一眼レフだとかいう、猫にそんなことを言われても、というような無駄な説明をしばらくしていたが、同時にいやな予感もそこはかとなくしていた。
 はんなはわたしの前足をがっしりつかんで、その手に傘を持たせようとした。
「さあ、傘差して歩いてみて、二本足で。長靴ないかあ、あればよかったんだけどなあ、子供用の。長靴を履いたぬこみたいな」
「…」
 あきれてにゃあと言うこともできなかった。わたしは抗議の意味を込める意味で、ねっとりと引き伸ばした沈黙をはさんでから、傘を後ろ足で蹴り上げた。そのままきびすを返して社から出て行った。
「ぬこー協力してよー、動画をとってネットにアップして大もうけしようよー、そしたらいいエサあげるよー、わたし会社辞めて自由になりたいよー」
 社の屋根ではんなの妄言をかろやかに聞き流していたが、自由という言葉だけが、先ほどからぼさぼさの体毛の先にひっかかっているよう、わたしの中に残っていた。
 たしかエアコンを修理したときもそんなことをほざいていた気がする。あいにくどこかにUPする前に、丁重に削除をさせていただいたが、まだあきらめていなかったようだ。
「ぬこは絶対すごい動画が撮れるはずなんだけどなあ、一日ずっと撮影してたら。でも仕事あるし、疲れるし」
 わたしはかまわず社の屋根に立って空を眺めていた。明日には気温があがりそうな、じっとりとした空気が入り混じっている。ちぎれちぎれにされた雲が、風足重く空に淀んでいるようだった。
「あの、すみません…」
 それから兄とはんながしばらく話をしていたが、わたしには聞く必要もないものだった。兄弟の両親が離婚し、二人はそれぞれ別々に引き取られることになったが、兄は弟のもとを離れるわけにはいかないと反発し、家出をしてきた。まとまったお金さえあれば親元を離れて暮らしていける、だからその儲け話を手伝わせて欲しい。そんな兄の声はひときわ大きく、わたしの耳を無遠慮にぴくぴくと動かした。
 はんなは当然、それを承諾するわけにはいかなかった。言うまでもなく少年の迷妄である。今の人間社会が子供だけで生きていける自由を与えるはずがない。ただ、兄の決意は容易に翻せそうもなかったし、仕事疲れで早く帰りたかったので、とりあえず兄の提案を了承して家に帰すしかなかった。
 帰ってきたわたしは家の窓辺でさっきと同じく空を見ている。はんなはすでに床の中である。同じような空だが、周りはずいぶんと静かになった。
 青白い闇が静謐という器を溢れさせ、わたし脳がその中に浮かんでいるような感覚がある。この空の下で生きている同胞たち、つまり野良猫はもっと自由なのだろうか。わたしは自由と思っていたが、実は自由という蜘蛛の糸に、人間と一緒に縛られているだけなのだろうか、ふとそんなことを思った。
「ちゃんとあの子たちに説明しないと。ぬこ、あとよろしくね」
 この日聞いたはんなの高いびきが、何より一番自由に聞こえた。

愛想が尽きる

 体が重い、足が震える、気をぬけば嗚咽がこみあげてくる。人間の身勝手さというのものは、ほとほと愛想がつきる。
 猫がこの世界で生きていくには、多かれ少なかれ人間と関わることが必須である。人間に飼われるもの、ときおり施しを受けるもの、ただ一匹野良で生きるもの、多かれ少なかれ、人間は彼らにとって大きな存在である。
 追いかけるのは人間、追われるのは猫と昔から相場が決っているらしい。それは人間がわれらに何かを求めているからである。われらは何も人間に求めないから、逆はない。銜えた魚は人間のものだと、いったいだれが決めたのか。
 人間から逃れようとどこへ行っても人間はいる。同じような形で、同じような顔をし、同じような思想をもつ人間が。
 そのときのわたしには人間を八つ裂きにしてやりたいというほどの激情さえくすぶっていた。これははんなが会社で感じていたものと、きっと同じなのだ。彼女は社会の歯車となる人間たちが一様に見えており、その灰色の紙人形どもを日々、空想の中で八つ裂きにしている。かれらはやわらかいし、悲鳴もあげず、痛がりもしないし、血も涙も流さない。なにより無抵抗である。虐殺の対象にはちょうどいい。こんなことで彼女の心象風景をより共有できるようになったというのは皮肉である。

撮影開始

 兄弟は陰からカメラ片手にわたしを見張っている。隠れているつもりなのだろうが、風上なのでその挙動はすべて把握できている。
 わたしははんなを駅まで送ったあと、公園のベンチ下でしばらく丸くなっていた。ちょうど駅前団地の中心にある公園で、周辺は早朝から午前にかけて 、会社員から通学途中の子供、主婦といったように、人模様がかわっていった。特に人間の雄は同じような格好をしているし、一様に疲労したようなつまらなそうな表情をしているので見分けがつきにくい。真っ白な顔をしたはんなは肩まで伸びた黒髪をきゅっと結って、あの中に消えていった。行きたくないなあと小さく呟きながら、まるで魂の抜けた体だけがふらふらとさ迷っているようだった。駅に集う人間がすべてそうだとしたら、体の集う場所は同じでも、魂はそれぞれどこかにあるのだろうか。それとも魂さえ自由とはならず、またどこか一箇所に監禁でもされているのだろうか。どちらにしても、抜け殻の体躯が動かす社会にどれほどの価値があるというのか。
 そんなどうでもいい思案の最中、ふらふらとやってきたのは一匹の同胞である。黒ペンキを適当にぶっかけたようなまだら模様の野良で、声をかけたが、疲労と空腹で返事をする余裕もないようだった。わたしは家から持参していたキャットフードを彼に与えた。
「すげー、何話してるんだろ」
 こういうことをある程度予測して食料を用意していたわたしに、兄は素直な感嘆をあげていた。一方で弟のほうは、こちらには興味もなさげにスマホをぼんやりと眺めていた。
 兄はいろいろと弟に気遣っているようだったが、それは麗しい兄弟愛というよりは、過保護のきらいさえ見受けられた。さっきから弟が暑いと言えばその汗を拭いてうちわであおいでやり、喉が渇いたといえばジュースを渡し、腹がへったと言えばあめやらチョコやらを食べさせていた。
 公園は子供や主婦たちが集まりはじめ、にわかにさわがしくなった。わたしが顔を上げると、一人の子供がじっとこちらをのぞきこんでいた。互いはしばらく目をあわせていたが、やがて子供が泣きながら、わたしの目つきが猫なのに怖いと、しきりに母親に訴えた。猫も人間も、見た目が優秀なのが偶像(アイドル)となるのは同じようだった。
 わたしはとある建物の向かいの塀に場所を移した。そこに腰をおろすと、さきほどとは違う野良がさっと寄ってきて、ここには近付かないほうがいい、と言った。彼は何も縄張りがどうのこうの言いたいわけではなかった。近づくべきではないことは、わたしとてよくわかっているのだが、ここにちょっとした用事があった。
 兄弟はこの建物がどういうものかわからないようだった。商店のように看板が出てたり内部が見えるような構造ではないので無理もないが、われわれにとってここはとても重要な場所だった。

奇妙な建物にて


 駅から徒歩数分、繁華街からすこし外れた場所にあるこの建物は、古い公民館といった佇まいであり、色あせた灰色のコンクリートの壁面が薄暗い影の中にひっそりと沈んでいる。人の出入りは数十分に一度程度で、静かなものである。
 不機嫌そうな年配女性が大きな籠を提げながら建物の中に入っていった。籠からはかすかに声が聞こえていた。どうやら中には同胞がいるようだった。小一時間ほどで女は出てくるが、そのとき同胞はいなくなっていた。
 わたしは人気のなくなったのを見計らって建物脇の路地に入り、数分ほどで用事をすませて出てきた。そのとき、何を察したのか、いままでわたしの行動に一切興味を示さなかった弟が、建物のほうを何か食い入るように見つめた。
「ここに来たことがあるのか」
 弟は口をすこしあけたまま、無言で首を振った。弟の気をひきそうなものは一見何もなかったが、気になったのは、彼がまるで動物のように、しきりにくんくんと鼻をならしていることだった。
 建物内の人間が暑そうに窓を開けた。当然である。さっきエアコンの室外機の電源を抜いたので、冷房が効かなくなっているはずだからだ。わたしはその隙に窓から建物内に入った。兄はわたしを追いかけようとしたが、無断で建物に入るわけにはいかず、建物の人に猫を追いかけるためというわけにもいかず、途方に暮れていた。
 わたしが外に出てきたのは夕刻ごろだった。兄はわたしをみつけると、ほっと胸をなでおろした。
「お前ずいぶん汚れているな」
 そう、確かに室内の汚れのせいで、わたしの足には黒い汚れがべったりとついていた。
「痛くないのか」
 肉球が斜めに切り落とされたような前足の欠損は汚れを伴って、より痛々しげに見えたようだ。当然今ケガをしたわけではないので平気ではあるが、傷痕は過去、汚れは今、ただ時間軸が違うだけである。治ってはいるが、当時の傷みはなにかのきっかけに、よみがえることもある。兄が汚れをハンカチで拭こうとすると、弟がぼくがやると言い出した。傷跡を食い入るように見ながら、慣れない手つきで足を拭いた。兄はこんなに積極的な弟を珍しく思った。

わたしの古傷を見て


 兄弟はわたしの古傷に対して、それぞれ感情を抱いたようだ。しかも兄弟でまったく正反対の印象を、である。兄は気味の悪い、しかしあわれなものを見たような、弟は美しい、しかし侮蔑すべきものを見たような反応だった。
 人間はいくつかの感情を織り交ぜて表現するのが通常であり、それは年端もいかぬ子供も例外ではない。一見しただけで、その複雑にからみあった感情を紐ほどき、分析するのは難しい。なにしろ等の本人さえ理解していないことが多いぐらいである。
 他人のそれを理解しようとするのを完全にやめたとき、人間は孤独となるのだろう。理解しようとしても理解できないとき、人間は不幸となるのだろう。われらにとっては孤独は誇りである。生存競争に勝ちのこることができる強者の証である。
 光と熱と紐。わたしの片目はぐにゃりとゆがみ、潤い、熱を帯び、腐り、ぼとりと落ちる。それを人間の硬い靴が踏んでいく、柔らかい肉球が踏んでいく。同情しようが侮蔑しようが、すべては過ぎたことである。わたしの片手は既に光と、ちりとなって消えている。
 か弱き者の世界は常に、汗と血と、涙と体液にまみれ続けるだけである。だからそんなに痛々しげに見てくれるな、もう痛くはない。そんなにまじまじとみてくるな、見せ物じゃない。それともこの醜い手などに、人間さまの高尚な心が呼応するというのか。それならば。悲鳴が聞こえた。よく澄んだ女の声だった。弟のつけっぱなしだったゲームからだった。

兄の告白


 兄がこらえきれないように何かを言い出したが、雑踏にまぎれてよく聞こえなかった、いや、聞く気がないといったほうが、正しいだろうか。弟が自分から動くという珍しい事態に、彼はこの撮影の価値を改めて見出したようだったが、その表情は複雑だった。行動の意味不明なのもあいまって、弟の積極性に何か不安を感じてもいるようだった。水と油、決して交わらない二つの感情をないまぜると、人間はこういう顔をするらしかった。
 往来を行く人々はそれぞれ言葉をかわしている。軽重はあれ、ひとつの言葉にはひとつ以上の意味がある。そんな言葉が無数にからまり、いびつな綾のようわたしに届いていたが、結局は不快な騒音にしか聞こえなかった。もしこれをひとつひとつにほどいて、それぞれに耳を傾ければ、もっと美しい音になるのだろうか。わたしに益のある言葉があるのだろうか。わたしには同胞のにゃあという鳴き声のほうが美しく聞こえた。研ぎ澄まされて鋭角となった意思が、すっと耳に刺さるよう聞こえるのだ。
 今日の撮影を終えた兄弟はわたしにカメラを預けて帰っていった。ぽんと点を打ったような雲が光を失い、赤黒く染まっていくさまがどこか痛々しかった。夜はわれらの世界である。わたしの体の奥底から、元来の夜行性動物としての力がかすかに、ふつふつとわきあがってくる気がする。しかし老齢ゆえ、若いころの力など望むべくもなかった。ただ意識はときおり、あのころに戻ることもあった。

兄弟たちの秘密


「うーん、なんか普通よりはすごいけど絵力が弱いというか、地味だなあ」
 はんなはさっきまで撮影した映像を見ながら首をかしげた。たしかに他の猫とすこし話をして、あとは建物に入った程度であるから、目新しいものなどあるはずもなかった。
「ぬこ、この中でなにしてたの。てか、普段どうしてるの?エサの減りとかはやいし、最近なんか変じゃない?」
 勝手に人を、ではなく猫を撮影しておいてずいぶんな言い草だ。このカメラをどぶにでも捨てればわたしの気苦労のひとつがなくなるのだが、なんでも友人が初めてのボーナスを費やして買ったそうなので、さすがに不憫だった。
 そういうはんなはすこし元気になったようだった。わたしの動画で金を稼げるなどと本気で思って、そこに希望を見出しているのだろうか。それともわたしの真意に、なんとなく気づいているのだろか。
 はんなは動画を見ている途中で眠ってしまった。操作にうとい兄はずっと録画しっぱなしだったようで、撮影時間は六時間にも及んでいた。わたしは部屋の照明を消し、シーツをくわえてはんなにかけた。暗闇の中で、再生の続いている画面の明かりがはんなの寝顔を照らしていた。
「これはマジで秘密だからな」
 画面にそう言っている兄の姿はなく、ただ灰色の壁があるのみである。場所はとある橋の下で、兄の言葉の合間に聞こえる唸り声は、弟のようだった。さきほど兄は自分の言葉が録画されていることに気づかないまま、わたしにむかってとある話をしていた。秘密という兄の願いはとりあえず叶えられた。この言葉を聞いているのはだれもいない。はんなもこの動画を見返すことは、今のところないだろう。
 実験用モルモットを極度のストレス下に置くと、自身の尻尾や足を噛みちぎる行動をとることがあるというが、人間がそういったことをする理由のひとつに、彼らと違い明確な意思が存在する場合がある。それは弱者の皮をかぶることで、強者の庇護を求めるためである。
 数ヶ月前、兄が弟を通学の迎えにいくと、弟は部屋で血を流して倒れていた。右足太もも上部のあたりに、鋭利な刃物で刺したような傷口と、先端が血に濡れたはさみがあった。兄が絶句していると、弟はこともなげに立ち上がった。痛みはあるようで、あどけない笑みに脂汗をうかべながら傷口を押さえていた。弟は滴る血を指先につけ、まるで絵を描くように、ふとももにさっとぬった。
 なんでこんなことを兄は言いながら、とりあえず傷の手当てしようとした。しかし弟はそれを拒否した。これをあいつらにみせれば、もう手出しはしなくなる、と言った。気味悪がって近寄らなくなる、と。
 たしかに小学生のいじめっこなど、この狂気的な行動を見れば、手出しもしなくなるだろう。弟が学校でいじめにあっているのを兄は知っていた。だから弟を守るため、通学から学校での休み時間や帰宅時まで、出来るだけ弟のそばにいようとした。いじめの事実も、心配させまいとして両親に隠していた。
 両親が離婚のことを話し出したのはそれからしばらくのことであり、自分が隠しているとはいえ、弟がこんな状態にもかかわらず、自分勝手に離婚話を進める両親を憎んだ。
 兄の抱える事実が誰にも知られず、知っているのがこんな猫一匹というのもあわれな話である。秘密とは、本当は誰かに知ってほしい、しかしだれかれにも知られていいわけでもないから秘すものである。ゆえに露見することは不幸ではない。逆に、知っておかなくてはいけない人が知らないという愚を避けることが出来る。わたしは体を震わせた。古傷がいやに気色の悪い感触を伴って、当時の痛みを思い返させようとしていた。

翌朝

 翌日の朝、わたしは駅前の肉屋の前にいた。店主がうっとうしそうに追い払うので、しかたなく路地裏に逃れたが、なにもえさが目当てではないので不都合はなかった。その正面にある病院と、そこに出入りする人間が見れれば、それでよかったのである。そのとき、同胞がおびえたようにその路地にかけこんできた。なんでも飼い主が彼女をむりやり病院に連れ込もうとしているらしい。わたしはひと目みて彼女の具合が悪いことに気づいた。歯はところどころ欠け、頬はやつれた様子もがあり、息づかいもあらかった。飼い主はお前の病気を治そうとしている、だから信じて従えとわたしは言った。
 兄弟は近くにはいなかった。なぜなら、この動物病院が父親の職場だからである。家出中に親と会うわけにはいかないと、ある程度離れた場所にいた。夜には家に帰る奇妙な家出を兄弟は続けていたが、父も母も仕事といって何日も帰ってこないので、家出を決意してから両親と顔をあわせてはいないらしかった。
 弟はゲーム機ではなく、犬のぬいぐるみを持って来ていた。その手足やたれた耳をひっぱったり、口を上下にこじあけたりして遊んでいたが、扱いが荒いのか劣化なのか、手の付け根や耳がほつれたり破れかかったりしていた。昔から女みたいな趣味を持っているからいじめられると兄はつぶやいた。さらにぬいぐるみはどこか水溜りにでも落としたのか、ぐっしょりと濡れていた。

ぬこの目的


 さて、わたしにとってここは正念場である。ここ数ヶ月の調査の集大成といってもいい。昨日の保健所ではそれなりに成果が得られた。可能性があるとすれば、あとはここしかなかった。
  ひと目につかぬようこっそりと進入する。今回は出入り口が開放されているため、いくぶん進入は楽である。昨日はドアも窓も閉めきられており、人の出入りもあまりなかったため、わざわざエアコンの電源を抜いて窓を開けさせるという荒業を用いるしかなかったが。
「どうだった、ぬこさん。お父さんはいたか?」
 探索から戻ってきたわたしは兄の言葉をどこか遠くに聞いていた。ふと見ると、弟がぬいぐるみの手をかんでいた。
 自身の傷跡と四肢の関節がまたうずいた。体はどんよりと重かった。これは老齢による疲労だけではない。絶望と失望、そして安堵と達成感が入り混じったような、とにかくずっしりと重いなにかを背負わされたようだった。
 翌日、尾行を開始しようとした兄弟の前で、わたしはあごをしゃくるよう、くいっと動かした。兄はしばらく首をかしげていたが、やがてわたしの前足に巻かれた布切れに気づいた。
「これでいいのか」
 カメラはわたしの頭上にその布きれでぐるぐると巻かれて、しっかり固定された。そして再度、病院内に進入し、ひととおり探索した。
 人間たちは矮小なわたしなどに気づかず、行為にふけっていた。それを凝視するわたしの小さな、いびつな瞳が捉えた映像は、たとえ聖君聖女たちの水浴びといえど、ゆがみ、醜く見えるのだろう。肉球と爪、悲鳴と血、夜と愉悦。人間の手はそれに届き、われらの肉球は永遠に届かない。人間の肌は思いのほかやわらかい。
 我々は時に生きるため、自分より弱いものを虐げる。人間は時に快楽と愉悦のため、弱いものを虐げる。罪の軽重はどちらも同じかもしれない。命を奪うという行為の本質は、どちらも同じかもしれない。しかし同胞の命と軽薄な自尊心と自己満足、愉悦と娯楽など比べるべくもない。
 わたしが戻ってきたのは夕刻に近かった。またあごをくいくいっと動かし、今度は兄弟を誘うように、ゆっくりと歩いた。彼らはわたしの意図を察しかねて困惑しているようだった。

墓場にて


 行きたかったのは妙絃寺という古寺の境内にある、垣根に囲われたとある一角である。そこに足を踏み入れて兄弟はまず、辺りに漂う腐臭に口元を抑えた。それほど広くはないが、周囲の垣が深く、出入り口もないため人間は滅多に現れない場所である。ちなみに、すぐ隣には、兄弟が隠れ家としている神社がある。ここに墓標があった。
 ところで、われわれに神はいるのだろうか、とふと思うことがある。どうも人間の口ぶりだと神は人間にしかいないようである。物語に出てくる神はたいがい人の形をし、奇跡を起こすも災厄を与えるも対象は人間である。実際はそんなことはなく、宗派が違えば同胞の神についての記述はあるのだろう。問題は大半の人間が、人間のための神しか信奉していないことである。だからわたしたちのために祈りを捧げるのは、わたしたちしかいない。
 土をすこし盛り、その真ん中に板切れを刺しただけの、われながらひどく雑な墓標である。泥で汚れた墓碑はぐらぐらと傾いており、何度直しても安定しないが、何故か倒れることはなかった。名前が刻まれているわけではないが、偶然ついたらしいわたしの手形が、くっきりと残っていた。
  人間は自分の墓標は自分で建てるのが一般的らしい。はんなの祖母が墓所の選定をしていることを知り、はんながショックを受けていたことがあった。祖母は自分の墓選びだというのに、いやに明るい様子であったのが印象的だったそうだ。人間もある程度の年齢にいたると、自分の死期を余裕を持って受け入れられるものらしい。あるいは家族に心配をかけたくなかっただけなのか。
 どうも人間と長く時間をともにするうちに、人間臭さがしみついてしまったようだ。墓というものは本来、なんの信仰もないわれわれには無用の長物である。わたしのお墓の前で鳴くような無意味な行為を、同胞はだれもしないし、してほしいとも思わない。ただ、人間が不自由なのは、その死に方さえ自由に出来ないことだ。亡骸の大半が路傍にさらけだされ、風雨にさらされるような死に方さえ、われわれは平然と出来る。コンクリートは土よりその分解を無常にも遅めている。
 墓標にはいつからか死期を迎える動物たちが集まるようになっていた。いや、もともとわたしがそういう場所に、墓標を建ててしまったのかもしれない。昆虫や鳥類のほかに、犬猫の死体が横たわることもあった。
 兄はくしゃりとしたものを踏んだ。蝉の遺骸だった。弟は落ちている鳥の遺骸をおそるおそる、指先でつついた。死んでいるということを確認してから、どんと踏みつけた。やめろと兄はいった。
 まだ残暑のころだったが、葉をすっかり落とした裸木と、風に舞う枯葉がいやに多かった。辺りは腐臭を乗せた冷気が、墓標を中心に渦巻くように吹いていた。

安らかな眠り


 二匹の横たわる猫を枯葉が覆った。安らかな眠りをもたらすように、遺体の腐敗を早めるように。葉の裏についたミミズが、猫の腹を這った。
 わたしは目を細めた。探し猫はようやく見つかった。思えば、ここにいるであろうということははじめから検討がついていた。それでいてここの捜索を最後にした理由は、わざわざここで言いたくもなかった。わたしは改めて、彼女とその滴る血と母乳とを思い出した。そして彼女とは似ても似つかない子供の姿は、まだ記憶に新しかった。
 彼女は眠ったように丸くなり、微動だにしなかった。わたしがそっと近づくと、頭をふるわせて、ゆっくりと顔をあげた。瞳はすっかり白濁して、もう見えないようである。それでも足音とにおいで、わが子を託した相手であることには気づいたようだった。
 引き取った子供はやさしい人に託された。もう心配はいらん。子を手放す決断をしたのは、断腸の思いだったろう。貧窮は親子二匹の飢えをまかなうことさえ許さなかった。加えて最近続く同族への凶行である。悔いることは決してない。あなたは最良の選択をしたのだ。心置きなく、ゆっくりと休むがよい。
 か細いにゃあという最期の声が、わたしの耳にいつまでもこだまするかのよう、残っていた。傍らには同胞の遺体が添い寝するようにあった。関係はさだかではないが、こちらは無残なものである。強い衝撃を受けたのか、皮膚が裂け、血があふれ、骨が折れ、内臓の損傷さえはっきりと見えた。彼女の最期はそれにくらべとてもきれいだった。人間と車ががやがやと行き交う場所とくらべ、とても静かだった。
 最良の死とはどんな形なのか。寝床でやすらかに、家族や友人たちに看取られながら、まるで眠るようにといったところだろうか。そうだとしたら、看取るのがわたしだけというのは不幸なことだろう。そして彼女はきっと、隣の亡骸の最期を、ただ一匹で看取っていた。でもそれは彼にとってはきっと、幸福なことだったろう。
 兄はいつか弟の手を握っていた。彼女がぴくりと体を動かすたび、兄の握る手が強くなった。

撮影された動画


 その日の夜、隣の社の中にぽつんと、カメラだけが置かれていた。まるで消し忘れたTVのように暗闇の中でぼんやりとした光を放っている。室内には誰もいなかった。兄がさっきまで一人で映像を見ていたが、正視に耐えかねて、外に出てしまっていた。
 撮影者のわたしは当然見る必要もなく、こうして社の庇で雨宿りをしている。古い社の屋根など抜けてしまいそうな豪雨である。兄は雨の中、手すりによりかかりながら、腕に顔を埋めていた。弟はここにはいなかった。体調を崩したようで、今は病院で治療を受けていた。
 墓標の遺体たちはどうなっただろう。あの二匹は土に埋めておいたが、野ざらしだった残りはすべて、雨に流されてしまうだろうか。遺体を、腐臭をすべて洗い流した後、雨上がりに、何事もなかったよう墓標がまとう雫の輝きなど、皮肉でしかない。そこにあった野ざらしの遺体など、もはや誰も気づかない。鈍い人間などは当然、鋭敏な嗅覚を持つ同胞たちでさえも。
 兄は全身にしびれにも似た感覚をまとっていた。体のすべてが、さっきまでとは違う何かに入れ替えられたようだった。
「弟がいなくなると、オレは自由になるのか」
 むろんそれは彼の望んだ自由ではなかった。ただ、世の中望みどおりの結末を迎えることのほうがまれである。言うまでもなく、孤独と自由は似て非なるものであった。
 墓標であの後に起こった詳細をつらつらと語るほど、わたしは厚顔ではない。だから事実をすこし改ざんしてここに述べるものである。

残酷な事実


 弟は突然、奇声をあげた。彼女の遺体(猫)に死ぬなとか、死ねとか何度か叫んで、苦しそうにのたうちまわった。とても正気とは思えない言動を発作的に繰り返し、そして前足首をつかみあげ、体を持ち上げ、ポケットに入っていた医者である父親のメスで、その四肢を切り裂こうとした。
 わたしは恥ずかしながら平静を保てなかった。弟にとびかかろうとした瞬間、兄がメスの刃わたりを素手で握り、弟から奪い取った。そして血まみれになった手で、弟を殴った。弟は頬の筋肉をひきつらせ、まるで小刻みに笑っているかのような表情をしたまま倒れた。兄の叫びと号泣が辺りに響き、寺の人間たちが何事かと集まってきた。
 兄の手に巻かれた包帯はすっかり濡れてしまっていた。カメラの前には、手足がばらばらになっていない弟のぬいぐるみがあった。まるで映像を兄のかわりにじっと見ているようだった。
「あんなすごい雨なのにすぐやんだね。わたしってやっぱ晴れ女?」
「...」
 頭の中まで星空きらきら快晴女が会社から戻ったころには、兄も家に帰っていた。はんなはあくびまじりに一尾始終が撮影された映像を見ていたが、途中から顔色を変えた。それはあの保健所と動物病院で行われていた、動物虐待の記録だった。
「警察に…」
 気が動転し、搾り出すような声をだすはんなに、わたしは続きを見るよううながした。すでに警察やら子供たちへの対応は、寺の住職たちが行っていた。
「まだ続きがあるの」

本当に伝えたかった事


 保健所と動物病院で行われた動物虐待の証拠映像がひととおり終わった後、場面は妙絃寺の墓標となった。
 彼女が人間の手にかからなかったことをせめてもの幸いだと思った。人間の身勝手さに憤ることさえやめてしまったわたしにさえ、年甲斐もなくこみ上げた若い感情は、いまだ残り火が胸の中にくすぶっており、どれだけ強い雨に打たれても消えることはなかった。なぜならわたしの本来の目的は、まだ達していなかったのだ。
「このこ…」
 あの母猫が映った。はんなはその素性を知っていた。会社を辞めた友人、こうちゃんに渡された子犬の母親だった。その母が今まさに息絶えようとしていた。
「ぬこ、子犬のことをお母さんに伝えたんだ。それを撮って、こんどは」
 猫の寿命としてはよく生きたほうだろう。それでもはんなは泣いていた。人間も猫もいつかは死ぬ。思いのほか長く生きたのなら、僥倖と言ってもいいだろう。生きる苦しみはいいかげん、わたしがあなたの分も背負っていくよ。わたしの濡れた毛並みはまだ乾いていなかった。
「わかったわ、こうちゃんに、伝えればいいのね」
 映像は証拠品として警察に押収され、はんなも事情聴取を受けた。警察は捜査の結果、以下を結論とした。兄弟の両親は動物病院の院長と保健所の所長という地位を利用して動物虐待を行っており、弟はそれに無理やり加担させられていた。弟はそのせいで精神的ストレスを受け、結果として自傷行為などに、およぶようになった。弟は精神的な不安定さも見受けられ、その後はしばらく加療を続けながら、保護されることとなった。
 しばらくして、成長した子犬とこうちゃんの画像が送られてきた。はんなは無邪気に喜んでいたが、わたしは胸をなでおろしたのと同時に、同じことを人間がすればこうも簡単にいくのかと、失望したりもした。
 両親は離婚し、兄は親戚にひきとられた。ただ兄はときおり施設にいる弟を訪れているらしかった。
「弟ちゃんって、ほんとに無理やりだったのかな」
 はんなは突然、ぽつりとそんなことを言い出した。
「もしそうじゃなかったら、あの鋭いメスで、こんどはぬこが、あんな目にあったら…」
 はんなの抱く危惧を、わたしは否定できなかった。動物の虐待事件など、世間ではよくある話である。どうしようもないときもある。
「でも仕方ないって言いそうだよね、だってぬこは自由だから」
 貧困、体の不具、誇り、死んだ同胞たち、わたしとていろいろなものに縛られている。自由をむやみにもとめる人間たちは鏡のように、それを思い知らせてくれた。
 ぼさぼさの毛並みはいまだに乾かない。

#創作大賞2023 #お仕事小説部門

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