独立するまでのはなしvol.9

次に働いたお店は客席50席の中箱。ランチはほぼ毎日1.5回転、ディナーも盛況で多いときには1日100万越えの売り上げをたたき出すマンモスレストラン。

自分の技術を客観視したときに足りないと感じていたところは、肉や魚を焼くいわゆるキュイソン(焼き場)の技術と経験だと考えそのポジションをやらせてほしいと直訴。同い年の先輩料理人がそのポジションを任されてバリバリやっていているのを見て、尊敬と悔しさ焦りが入り混じる気持ちだった。

基本的に一人でそのポジションを回すスタイルのお店で、頭を常にフル回転しておかないと一回つまずくと立て直すのは容易ではない。
オーダーが入りシェフが読み上げ(もちろんフランス語)前菜のチームが動き出す。焼き場は基本まだ稼働しないが火を入れるのに時間がかかるものは徐々に火入れをしていく。忙しいときは問答無用で火入れをしていかないと間に合わないので次々と8割程度まで焼いておく。シェフのプレッシャーと火入れの感覚付け合せの用意、新たに来るオーダー、在庫の有無、スピード、それはまさしく戦場だった。

これだけ忙しいということは仕込んでいた食材がなくなることを意味している。シェフが帰るやいなやおもむろに食材を運んできて仕込みを始めるのである。時刻は夜中の12時。泊まり込みで働くこともしばしばあるそうだ。そうでもしなければ次の日の満席のランチ、ディナーを乗り切ることができない、と。その責任感に感嘆する思いとなんでそこまでするんだろという感情、そんなみんなの疲弊している姿を見てみない振りするシェフや会社に違和感を覚えた。

そんな日々が1年ほど過ぎワーキングホリデイのお金もたまってきたなあーなんて考えてたある日。高校からの同級生の友人M君から思いもよらないお誘いの一言があった。

飲食店開きたいから一緒にやらない?

まじっす?

正直悩んだ。まだ修行が足りないんじゃないか、第一線を退くことにならないか、でも修行っていつまで続くんだ?有名シェフになりたいのか、そもそもお店をやるお金今後用意できるのか、失敗したらどうしよう、フランスに行くんじゃなかったのか、逃げているんじゃないか、独立ってかっこいいよな、、

いろんな感情が渦巻くなか僕は一緒に独立することを選んだ

期待に胸をふくらます当時の僕はここからはじまる波乱の幕開けを知るよしもない。

続く

より精進します。ありがとうございます。