独立までのはなしvol.8

今は過労死や社畜なんて言葉が世間をにぎわしているようだけど正直当時の働き方は褒められたものではないとおもう。ただそんな期間があったからこそ成長できたのだとも思う。
人は誰しも自分の物語を肯定したい生き物だと考えているので鵜呑みにしないで、へーそうなんだ。くらいでちょうどいい。時代が変われば考え方が変わるのは必然だし、当時の僕はそれでも続ける事が最善だと思って行動しただけであって今の若い子たちにそれを強要するのは見当違いだろう。どちらにせよ自分で考えて自分で行動することは必要だ。
話を戻す。

楽とは言い難いこの状況をなんとなく過ごすのは精神衛生上よろしくないと判断した僕は自分のルールとして2年という期間を(勝手に)設定して、この間に習得できることは全部やろうと決めた。残念ながらそれが僕の頑張れる限界だった。デザート部門を任せてもらうようになり、前菜、パン、付け合わせなど一通りの部署で経験することができた。実はその間何度も辞めたい衝動にかられては何とかもちこたえるというループを10回は繰り返し先輩同僚とぐちをこぼしいつか日の目を見ることを信じて毎日必死に働いた。

そして2年という月日は嵐のようにあっという間に過ぎ去った。

そのころの僕は次の展望としてワーキングホリデーを利用して本場フランスにいきたいなーとぼんやり考えていた。その為にはまず貯金をしなければいけなかったので次の就職さきの条件として、主力でガンガンやらせてもらえてお給料がよくて流行っているお店と考えた。たくさんのお客さんに支持されているお店ってどんな感じなんだろうと興味がわいたので銀座を中心に10店舗ほど展開している会社でお世話になることにした。

2回目の転職。当時24歳。

続く。


より精進します。ありがとうございます。