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九龍夜總會2024

龍城飯店@渋谷

渋谷近未来会館──この妖しいハコ(ライブハウス)を見たとき、咄嗟に「龍城飯店@渋谷」というコンセプトを思いついた。陰界が陽界へと露出したという設定を地で行くような場所的印象を得たからだ。
龍城飯店は『クーロンズ・ゲート』のグラウンドゼロのような位置付けだ。
ゲーム設定に従うと、2年前、つまり1995年にふらりと姿を見せた小黒、そんな彼女を見守るリッチ。そして小黒の中で日増しに存在感を増していく"姉"の存在──
やがて小黒は、龍城飯店の部屋にある写真立てに姉の思念を呼び込み、思念合一を果たすことになる。自覚した双子を依代として龍脈が到来する。最後の、おそらくは最も影響力を持つ神獣である朱雀の龍脈によって陰界の風水は無事に見立てを終えることになる。
これらの出来事の主舞台が龍城飯店であった。

飯店とはHOTELのことだが、龍城飯店にはフロントすらなく、1階に物置のようなバーがあるのみだ。そのバー、実は『アキラ』に登場する春木屋がモデルになっている。ともに異質な存在──異形は途中退場するドラマツルギーのセオリー通り、春木屋のマスターは離脱し、それに倣って龍城飯店のリッチも離脱する(リッチの場合、かなり無理矢理だったが──)
そんな龍城飯店が、ひょっこりと陽界に、渋谷の片隅に顔をのぞかせる──すなわち「龍城飯店@渋谷」、九龍夜總會2024のコンセプトはこれ以外に考えられない。ある意味、ハコ先(せん)のイベントというわけだ。

陰界がなかば表出したかのような近未来会館
「澀谷近未來會舘」の旧字表記のほうがしっくりくる
このハコありきのイベントだ

クーロン企画30周年

今年、2024年はクーロン企画30周年となる。
自分の履歴だが──ソニー・ミュージックコミュニケーションズから、青山一丁目は山王病院近くの赤坂DSビル(現・住友不動産 青山ビル西館)に入居していたソニー・ミュージックエンタテインメントニューメディア室に移ったのが1993年12月のこと。翌1994年初頭、部署に鎮座していたCG特化型最高級マシンOnyxをフル活用すべく打ち立てた企画が九龍城砦をデジタルで再現するコンテンツだった。部署には自分含めてゲーム開発経験者ゼロという状況ゆえ、最初は非ゲーム的なマルチメディアコンテンツを考えていた。
当時、九龍城砦はすでに撤去されていて、何を作るにも資料さえままならない──それならばひとまず現地に赴き空気感でも、ということで制作陣4名で現地取材を敢行した。1994年4月のことだ。
取材班を引率した現地コーディネーターが優秀で、とにかくまぁ、普通は訪れないようなアブナイ場所ばかり巡らされた。そのときの鮮烈体験は、微熱状態となってクーロンのマスターアップまで継続することになる。

1994年4月・香港 観光客は立ち入れない路地裏
この空気感が制作部署に滞留した

クーロンは、まだオープニングムービーしかできていない状態で、早々とプレスリリースを行ったために妙な注目を集めてしまった。ほとんどプレステローンチ第2弾タイトルというイキオイだった。もちろん間に合うはずもなく、クーロンは遅延タイトルの常習犯扱いを受けてしまう。
ただ、このせっかちなプレス発表のお陰で、クーロン的なイメージはリリース前からメディアやユーザーの中でいち早く醸成を始めることになる。その存在感は「中の人」である制作陣にも強烈な照り返しをもたらし、「クーロン様」として部署内に顕現する。実際、マスター近くになると、もう誰も原作者である自分のところに見解を求めに来なくなった。皆がクーロン様の思し召しの元にいたからだ。
世間的には「クーロン的なるもの」が次第に市民権を得ていく、そのプロセスとも重なる。ただ、まだその方面はマニアックな域にあり、長崎の軍艦島が観光スポットとして注目されるまでにはいささかの時間を要するが。
ともあれ、クーロンは30年の時を経ていい具合に発酵熟成している。そのかぐわしい香りを楽しむ、それが龍城飯店@渋谷のテーマとなる。これでコンセプトとテーマが揃ったことになる。

クーロン的遠心力

時事ネタに乗っかる感があって公言は憚れるが、2022年10月に開催した『超級路人祭』では、イベント企画段階で「クーロン二世信者」というワードも飛び交っていた。要するにクーロンに何かしらインスパイアを受けたクリエイターという定義だ。そこにフォーカスするのはどうか──
結果的にユーザーを「超級路人にする」という段階で寸止めとなり、「ジブンクーロン」「九龍大学大学院」という設定を共有することで締めくくった。

超級路人祭 2022.10.29 渋谷Loft9
ジブンクーロン始まりの場所

クーロンインスパイア系に振っていくにはもう少し準備が必要であった。
そこでまたキーワードを思いつく──

 表現者たちのクーロン。

30年近く、少なくともリリース以降27年、あるいはもっと短いかも知れないが、ユーザーの中でふつふつと発酵し続けるクーロンは、それにとどまらず表現者たちを鼓舞することになる。
そこをキャッチアップするのが「九龍夜總會2024」の目的だ。表現というからにはスタンスを広く取ろう──そう考え、企画当初はユーザー側に発露する表現をも取り込もうと目論んだ。イラストからコスプレまで「あなたのクーロンを表現してください」──
ただこれを披露するには会場での采配が困難なのと、立ち席のみとなるため、冗長さに転びそうな演し物は提供しにくい。そういった事情もあって今回は見送ることになった。

少なくとも、もう元「中の人」がしゃしゃり出る必要は一切ない。せっかくユーザーの中で、たくましい想像力エンジンによって膨張しているクーロンに水を指すことになる。そもそもの話として、「中の人」なんてリリース直後から誰もいかなったのだ──(マスター前に転職したメンバーもいた!)

近い将来、「ジブンクーロン」に軸足を置いた企画を実現してみたい。イラスト、ノベル、サウンド、コスプレ、はたまたAIで生成したクーロンなど、さまざまな「ジブンクーロン」の糾合によって、クーロン的な発酵は最終段階を迎える。まさにクーロン遠心力の発現そのものである。
これは「推し」に向き合う二次的著作とはまた別次元の話なのは言うまでもない。(法律上では二次的著作物だが──)

小黒モノローグ

1995年5月、龍城飯店に姿を見せた小黒は、いったいどこから来たのか──? 
なぜ遠い過去の上海に故由(ゆえよし)を求めるのか──?
このミッシングリンクを埋めるべく筆を執ったのが、描き下ろし小品『小黒秘話 Tale of Suzaku』だ。

1919年6月8日、上海付近に低気圧があり、
上海は南寄りの湿った風により濃い霧が発生していた

1919年6月8日、霧深い上海の沖合いで小型船の水難事故が発生する。そこで小黒は、父と姉と失うことになり、自らは父が最期に名乗った「黒(ヘイ)」という名字で生きていくことになる。
息を引き取る刹那、父はあえて縁起の悪とされている名字を語ることで「小黒」を他人から遠ざけようとしたようだ。
ちなみに「小」は中国では名字の前に付ける愛称を込めた呼び方で、例えば習近平なら「小習(シャオシー)」となる。もっとも中華人民共和国首席に対して誰もこんな呼び方はできないだろうが──
この「小」の慣習など、設定を行っていた30年前は知る由もなかったことだ。いろいろの偶然が重なって、ミッシングリンクは埋まりつつある。

しかし、まだ大きな謎を残す。
どのような経緯によって、小黒は遠い過去から、時空を超えて、しかも陰界へ墜ちたのか──? 誰かの恣意が働いていたのか──? そして事故当時の父の思惑とは──?
このあたりを詰めて『クーロンズリゾーム』のスピンオフタイトルを制作するつもりだ。そして小黒が断片的な記憶を紡いで姉を自覚しつつある様子にも筆を入れる必要がある。丁寧な設定こそが重要なスピンオフ版となるだろう。
そうした"設定至上主義"の兆し、『クーロンズ・ゲート』に収められたモノローグにその片鱗をうかがうことができる。これは作中で最も重要となるパートである。

ファイアの日に会える……これが姉の言葉なの
──夢の中で──いつも決まって同じ

その言葉の意味を、夏(シャァ)先生に尋ねてみたわ
それは陰陽の暦にある、日づけなんだって

陰陽の暦では、毎日を五つの属性で呼び表わすそうなの
でも、姉の言うファイアの日がいつなのか、
夏先生にも分からなかった

──変ね、はじめて会った人にこんな話するなんて

──確かに感じる、姉のこと──
──いつも見る夢──

私がみるみる体を失って地面の中に潜り込んでゆく
脚や腰が枯れ木のように割れて、力を失って
肩のあたりまで潜り込んだとき、私は叫び声をあげる
声にならない声──

するときまって姉が現れて手をさしのべてくれるの

そのとき、とても安らかな気持ちになれる
姉は静かな口調でひとこと言う

──ファイアの日に会える──

出典『クーロンズ・ゲート』
©1997 Sony Music Entertainment(Japan)Inc.



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