私は箱、いばらのおうちにしまい込まれてる
悲鳴を上げたいくらい打ちのめされたとき、どんな言葉を話すだろう。
僕が聞いたのはこれだった。
「私は箱、いばらのおうちにしまい込まれてる」
彼女はそう言って、100円玉を指先で転がしたんだ。
自販機にほっそりした爪先が届くと、それだけで夜は終わってしまった。
もう何年も前のことだけど、いまだにどんな言葉も見つからない。
その時、友だちはひどくまいっていて駅の帰りに偶然見かけて、
何時間も話し込んだあげく、箱はいばらのおうちにしまい込まれたままだった。
「私は箱、いばらのおうちにしまい込まれてる」
「そう?」でも「心配だな」でもない。
彼女の中に光が灯るような、輝きになって道を照らし出すような。
そんな言葉を口にするためには、ほんとうにやさしくないといけなかった。人の苦しみや孤独さえ命の光に思えるほどに。いばらのとげさえ愛おしく感じるくらいに。
僕は何も言えず、黙るしかなかった。
今年もセミが鳴き出して、彼女から一通の便りが届く。
遠い場所に引っ越したと。
新しい仕事に就くんだと。
自分にとっての挑戦なんだよと。
靴を片方なくして歩くような、あの心細い夜に彼女はもういない。
夏の光の中でダンボール箱の封を解いている。
開け放した窓から風が入るから、ベランダでバラのつぼみが膨らんでいく。
あなたは迷ったあげくやっぱり捨てられずに持ってきた小さな箱を胸に抱き、フローリングに腰を下ろしてコーヒーが沸くのを待っている。
箱の中には、知らない花の種が入っているんだ。きれいだからと、あなたにぴったりの花だからといつか誰かから贈られた一粒の種。
私は箱、いばらのおうちにしまい込まれてる。
この言葉に懐かしさを感じるくらい、笑っちゃうようなおかしさを覚えるほどに、今日という新しさの中で踊りつづけられたらいい。
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