思っていたのと違う自分を許容する

起業して成功するとか、ずっとエンジニアでガリガリ開発するとか、新卒でも裁量大きなポジションもらえてバリバリ活躍するとか、、、そういった人たちへの憧れが、私は就活しているときからあった。

自分はそういう生き方ができる人間だと思っていたし、そうでありたかった。ネットでよく見るすごい人たちのように活躍したかった。憧れていた。

でも、現実はそうではなくて、いざ裁量があったりやれることが広くて自分次第でいくらでも成果出せるような状況になると、なにをやればいいか分からないしプレッシャーや不安から毎日押しつぶされそうになる。タスクは多く、やり方は分からず、締切は徐々に迫り、もちろん締切までに終わらせられる自信はない。そうして心身が疲れてしまう自分がいる。

思い描いていた人間像とかけ離れている実際の自分。でも憧れている働き方をしたい。自分はそれができないと認めたくない。

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そういう風に思っていたが、最近は憧れに縛られないような考えをしようとしている。本当の自分から目を背けずに許容する、といったところだろうか。本当の自分を許容できない状態はとても辛い。まあ悪く言えば諦めかもしれないが。

憧れは憧れであって、それを自分ができるかなんてのは分からない。もちろんがむしゃらに、諦めず、真摯に向き合えば憧れは憧れではなくなるかもしれない。でもそれで心をすり減らしていくのが正しいかは分からない。

それは逃げだと思われる方もいるだろう。正直私もまだそう感じている段階だ。ただ、本心と本当に向き合ってみたとき、一番楽しめるのはなんだろう、幸せなのはなんだろう。

振り返れば、今までで特に幸せだと感じていたのは、学校や仕事が落ち着いている=心も落ち着いているときの休みの日にまったり過ごす時間だった。ある意味とても普通である。でも、その自分が駄目なわけではない。駄目だとかつまらないだとか思う人はいるだろうが、それを決めるのは自分だ。

世の中にたくさんいるキラキラした人たちになりたい気持ちと、実際の自分のストレス耐性、やることの心への負荷、やりがい、楽しさ、、、そういったことを経験し、考えて決めてしまえばいいんじゃないかな〜。

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以上の文章は、仕事が辛くて毎日不安な状態で思い始めたことを書きました。以下の記事もそうです。この記事とは内容はかなり違いますが。

この記事はある意味(それが本当に逃げかは置いておいて)逃げを肯定する記事で、以下の記事はまだ逃げないことを宣言した記事です。こちらも読んでいただけると嬉しいです。


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