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孤独は悪いことではなさそう

先日のコーチングのセッションの中で私に浮かんできたキーワード「孤独」と「孤立」。この2つの単語はどうやら、似て非なるもののようです。

このことは、枡野俊明さんの『捨てること、離れること』に、ヒントがありました。

この『捨てること、離れること』には、禅の教えで大切なことが綴られています。その中で、「孤独」や「孤立」のことなど、こうありたいな~と思ったことをご紹介します。

「孤独」と「孤立」は、同じような意味で使われることがよくありますが、わたしはまったくちがうものだと考えています。
孤独とは、ひとりで静かな時間をもつこと。一方、孤立はまわりとの関係性を断って、あるいは断たれて、人とのおつき合いがなく、ひとりぼっちになってしまうことだと思っています。

『捨てること、離れること』

だから、「孤独を楽しむ」とは言うけど、「孤立を楽しむ」とは言わないんだと腑に落ちました。敢えて自分ひとりの静かな時間をもって、その日を振り返ること。これができるようになると、日々の生活の中で、流されることなく、今日の失敗も明日の成功につなげることができる。
そう思うと、noteにふと気がついたことを書き綴るのも、振り返りになってますよね。

それと同時に、「孤立」は選ばないように と警告されています。人との関わりの中で生きているから、その関係を断ち切ることは無理なんだそうです。完璧に自給自足で暮らすというのは今この時代ではほとんどできないでしょうね。そう思うと納得です。

やっぱり身近な人とのたわいもないおしゃべりとか、そういう繋がりは大事にしながら、穏かに過ごしたいです。

そしてもうひとつ、私がこうありたいと思ったことをご紹介します。

禅語に「淡交」という言葉があります。
深入りはせず、でも心を開いておつき合いをしていくという意味です。淡く交わるーこれが人間関係を上手に育むためのキーワード。

『捨てること、離れること』

人間関係、ほとんどが「淡交」でいい。その中で、この人とはもっと繋がりたいと思った人と、大切な時間を過ごせばいいんです。誘われたからといって、気乗りしない飲み会に行かなくても、人間関係が壊れることにはならないんですね。
私はこの人との距離感をとるのが苦手なんだと思います。若い頃は特にそうでした。親しい相手でも、全部分かり合えなくて当然。そう思えるまで、結構時間がかかりました。


自分と向き合うこと、他者との関係を見直すこと、知ったことを実践すること。
忙しない日々の中ではつい忘れがちになりそうです。でも、そのことが、無駄なエネルギーを消耗しないで、自分を上手く保ってくれることにつながるような気がしました。


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