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行け、飛べ、行きたいところへ。

18歳。私は、関西から九州へ飛んだ。




「〇〇大学に行くように説得しようと思ってんけど、やめなさそうやったからな、お前。」

大学4年の時、母校での教育実習中、学年にいた体育の先生にそう言われた。

私は、頑固だということを知った。無自覚だった。





中学3年で高校をどうするか考えているとき、私の頭には一つの選択肢があった。


中学やってる部活の強い私学に行く。


でも私の先輩たちは強かったけど、私たちは別にそうでもなくて、そんな強い学校に行ってもついていけないんじゃないかって、行かないための言い訳が頭をよぎった。

そして、他の中学の強い友達がその私学に行くことが分かり、さらに私の気持ちは萎えた。


違う、ビビった。怖気づいた。逃げた。




逃げた私はその後、謎に高校受験は私学を受けない(滑り止めを受けない)という選択をした。
そこからすでに私の頑固は健在で、おそらく担任の先生はそれを分かっていた。
滑り止めを受けるように言われた記憶はない。

ただ、しっかりやれよって言われた。



しっかりやった。
その結果無事公立高校に合格した。


余談だけど、中学卒業後に思わぬ人から告白されて付きあうことにした。

その人とは同じ高校なので、一緒に帰ったり、学校ですれ違って目配せするなど、それなりに楽しい高校生活をスタートさせることができた。



でも私の心には“逃げた”ことによる後悔がいつもどこかに残っていた。




私の通っていた高校での競技生活は、自分達でメニューを組んでやるといったレベルで、誰かに教えてもらうこともなくただただ時間が過ぎた。


強豪私学に行きたいと思っていたんだと言うのが恥ずかしいくらいのレベル。
やっているときは本気で、できうる限りを尽くしてやったつもりだったけど、今考えたら本当にたかが知れている。


最後の大会だって、意気込みと内容とが伴わずにあっけなく終わった。

バーンアウトと言うと何をバーンしたんやって感じで恥ずかしいけど、当時は一丁前にバーンアウトしていた。
いや、違うか。バーンアウトしていると言い聞かせて、自分のやってきたことを正当化していた。多分そんな感じ。




大学どうするかって時期になり、私は一つの想いをもって受験生となった。


私学に行って競技することを選択しなかった後悔をもうしたくない。
あの時の分までしたいと思うことをしたい。後悔をしたくない。


私の受験生活はその一点だけが支えとなり、勉強に明け暮れた。

そしてその一点だけでは大学は絞れないので、教員になるというかつてからの目標も加えて大学を吟味した。


吟味すればするほど、私は迷走した。

自分の実力が分かっていなかった。
まだまだ伸びると思っていた。
実際に伸びた科目もあって、その科目は勝負できたかもしれない。


でも、国語が壊滅的だった。

本読むの好きだしって自分に言い聞かせて頑張ったけど、こればっかりは壊滅的だった。


迷走しすぎて先生たちも手を付けられない感じになっていた私。

そこに突然、一筋の光が見えた。
気がした。

迷走中の私はその光に賭けることにした。



九州へ行く。




縁もゆかりもなにもないところ。

でも、競技はトップレベル。いや、トップもトップ。トップおぶざトップ。
そして教員免許もとれる。


どうせやるなら、トップおぶざトップがいいに決まってる。

頑固な私はこの目標が決まってからは、本当に誰の意見も聞こえてなかったように思う。


それから、あんなことやこんなことがあって合格。

「えーほんまにーうそやろー」って思ったんやっけ。
どう思ったんやろ。
覚えてないな。なんかどこか現実味がなかったような気がするな。

先生たちはビビってた。
当時は、受かったことに驚いてくれていたと思っていたけど、今になって思うのは「やっていけるのか。やめちゃうんじゃないか。」っていう心配だったんじゃないかってこと。


縁もゆかりもない土地に1人で行くということが、まだわかってなかった。



よく理解したのは高校卒業後すぐ。
高校の卒業式を終えて、友達はここぞとばかりに遊んでいた。

単身九州の前に、私もしっかり遊ぼうと思った。
思ったら、電話がかかってきた。


「あなたのお世話をします〇〇です。春休みの練習に参加するために入学前に〇日からこちらへ来てください。部屋は私の部屋に泊まってくださいね。ごはんとかは全部こちらで持つので気にしないでね。」






え、食費?
いやいや、そこは気にしてません。
いや、気にしてないと言えばうそになるけど。でもそこじゃない。
いや、そこもだけど。とにかく違う。それじゃない。
私は今から友達と思い出を作るのに。そんな突然言われても・・・

ってな感じで心の準備ができぬまま私は九州へ・・・(合格した時点で心の準備しとけって話だが)



でも準備できなかったのがちょうどよかった気がする。

準備すると怖気づいてしまってたかも。行くのが怖くなってたかも。
だから、このスタートで良かったんだと、今は思う。



そこから始まった単身九州競技漬け生活。


へちょへちょな私が、インターハ覇者や常連者などバリバリの人達と一緒に毎日を過ごすようになった。

不思議なもんで、受験を決めた時の勢いは衰えることをしらず毎日トップおぶざトップのメンバーと一緒にできることが楽しくて夢中だった。


メンバーに選ばれることはなかった。
推薦生と一般生でそもそも与えられる機会が違う。

でも、選んだ大学では選手も選手外もみんな一緒って雰囲気があって、疎外感もないし、やる気がなくなることは4年間で1度もなかった。


最高の雰囲気だった。



最高の環境で、最高の仲間と出会い、最高にきつい練習に明け暮れた。



宝物みたいな4年間のおかげで、今私は地元に戻って高校で教員をしている。
幸せなことに、競技を部活動で教えている。


そして、さらに幸せなことにトップおぶさトップと一緒に競技をしてきたことが、活かせる場所もある。

それは、競技の審判。
地区予選では上位試合の審判員に指名されたり、上位大会の審判にも選んでもらったりできた。

活躍できる場を与えられている。やりがいを感じる。




あの時、急に単身九州の光が見えた。
そして、これだと勢いだけで飛びついた。

この勢いだけの選択のおかげで、私は今やりがいを感じられる場所がある。
たくさんの素晴らしい出会いがある。もっともっとという向上心が湧いてくる。



いや、高校の時の選択ではないか。

その前の中学時か。高校選択で強豪私学から逃げるという選択。
この選択をしたから、私はさらに競技への気持ちを強めることができた。
その気持ちのおかげで九州へだって怖気づかずに行くことができた。



中学の私、ビビってくれてありがとう。

ビビった結果、あの選択をしたから、今私は同じ競技をしている夫に出会えたし、最高にかわいい息子にも出会えた。

そしてトップおぶざトップの中で4年間やり遂げたという何物にも代えがたい自信を得られた。





歳を重ねるごとに、「やりたい」に目を背けるようになってきた。

今回このテーマを見て、すぐに「書きたい」と思った。

息子が生まれ、今までと色々と変わったタイミングでのこのテーマは運命かと思った。

何物にも代えがたいあの4年間の事を今まとめたい。


なんとなく、今進化している私の色々な「やりたい」に向き合える気がして。


だから今、#あの選択をしたからのテーマで文を書くという選択をする。

#あの選択をしたから

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